支那事変勃発後の昭和13年(1938年)7月15日に編成され、関東軍の編組に入った。満州北部の北安、さらに孫呉付近に所在し、北方への備えに当った。昭和20年(1945年)8月9日、ソ連軍侵攻により同軍と交戦を続けている中、ハルビンで終戦を迎えた。
第4軍の人事
歴代司令官
- 中島今朝吾 中将(陸士15期):1938年(昭和13年)7月15日 - 1939年(昭和14年)8月1日
- 後宮淳 中将(陸士17期):1939年(昭和14年)8月1日 - 1940年(昭和15年)9月28日
- 鷲津鈆平 中将(陸士18期):1940年(昭和15年)9月28日 - 1941年(昭和16年)10月15日
- 横山勇 中将(陸士21期):1941年(昭和16年)10月15日 - 1942年(昭和17年)12月21日
- 草場辰巳 中将(陸士20期):1942年(昭和17年)12月21日 - 1944年(昭和19年)2月7日
- 西原貫治 中将(陸士23期):1944年(昭和19年)2月7日 - 1945年(昭和20年)3月23日
- 上村幹男 中将(陸士24期):1945年(昭和20年)3月23日 - 終戦
歴代参謀長
- 牟田口廉也 少将(陸士22期):1938年(昭和13年)7月15日 - 1939年(昭和14年)12月1日
- 吉積正雄 大佐(陸士26期):1939年(昭和14年)12月1日 - 1940年(昭和15年)9月9日
- 渡辺洋 大佐(陸士27期):1940年(昭和15年)9月9日 - 1941年(昭和16年)7月7日
- 小林浅三郎 少将(陸士24期):1941年(昭和16年)7月7日 - 1941年(昭和16年)12月1日
- 渡辺洋 少将(陸士27期):1941年(昭和16年)12月1日 - 1942年(昭和17年)8月1日(再)
- 公平匡武 大佐(陸士31期):1942年(昭和17年)8月1日 - 1943年(昭和18年)9月11日
- 萩三郎 少将(陸士29期):1943年(昭和18年)9月11日 - 1944年(昭和19年)12月26日
- 大野武城 少将(陸士31期):1944年(昭和19年)12月26日 - 終戦
参謀副長
- 渡辺洋 少将(陸士27期):1941年(昭和16年)7月7日 - 12月1日
歴代高級参謀
- 吉積正雄 大佐(陸士26期):1938年(昭和13年)7月15日 -
- 藤村益蔵 大佐(陸士30期):1939年(昭和14年)12月1日 -
- 坂井芳雄 中佐(陸士33期):1940年(昭和15年)3月9日 -
- 公平匡武 大佐(陸士31期):1941年(昭和16年)9月26日 -
- 牧達夫 大佐(陸士36期):1944年(昭和19年)3月31日 -
終戦時
- 司令官 上村幹男 中将
- 参謀長 大野武城 少将
- 高級参謀 牧達夫 大佐
- 兵器部長 青木謙 少将
- 経理部長 石井増太郎 主計大佐
- 軍医部長 西雅憲 軍医大佐
- 獣医部長 花房憲輔 獣医中佐
- 法務部長 今成一郎 法務少佐
昭和16年(1941年)12月の隸下部隊
- 第1師団
- 第8独立守備隊
- 第5国境守備隊
- 第6国境守備隊
- 第7国境守備隊
- 第13国境守備隊[2]