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柴 勝三郎(しば かつさぶろう、1864年1月26日(文久3年12月18日) - 1938年1月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
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茨城県出身。柴久一郎の二男として生まれる。陸軍教導団を経て、1885年6月、陸軍士官学校(旧7期)を卒業した。同期には宇都宮太郎・島川文八郎両大将や竹下平作中将らがいる。1890年12月、陸軍大学校(第6期)を卒業。
陸士教官、陸大副官、参謀本部出仕、参謀本部第2部員、陸軍省軍務局課員、大本営参謀などを経て、遼東守備軍参謀として日露戦争に出征。第4軍参謀副長へ転出し、奉天会戦に参加した。
教育総監部参謀、欧州差遣、教育総監部第1課長、近衛歩兵第3連隊長などを経て、1910年11月、陸軍少将に進級。朝鮮駐剳軍参謀長、関東都督府陸軍部参謀長、軍務局長を歴任し、1915年2月、陸軍中将に進級。第18師団長を経て、1919年7月に待命となり、翌年2月2日、予備役に編入された[1]。
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