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日本の神奈川県中郡にあった町 ウィキペディアから
秦野町(はだのまち)は、神奈川県中郡にかつてあった町である。
代 | 氏名 | 在任期間 |
1 | 村上長兵衛 | 1889年(明治22年) - 1893年(明治26年) |
2 | 佐藤政吉 | 1893年(明治26年) - 1897年(明治30年) |
3-8 | 大野与五右衛門 | 1897年(明治30年)-1920年(大正9年) |
9 | 安藤奏太朗 | 1920年(大正9年)-1923年(大正12年) |
10 | 佐野義職 | 1923年(大正12年)-1925年(大正14年) |
11 | 西海惣兵衛 | 1925年(大正14年)-1926年(大正15年) |
12 | 平野儀三郎 | 1926年(大正15年)-1930年(昭和5年) |
13 | 梶山久次郎 | 1931年(昭和6年)-1935年(昭和10年) |
14 | 関野顕治 | 1935年(昭和10年)-1935年(昭和10年) |
15 | 石井兵助 | 1936年(昭和11年)-1938年(昭和13年) |
16 | 杉山茂 | 1939年(昭和14年)-1940年(昭和15年) |
17 | 木村淳 | 1941年(昭和16年)-1944年(昭和19年) |
18 | 高橋角蔵 | 1944年(昭和19年)-1946年(昭和21年) |
19 | 北村寅之助 | 1946年(昭和21年)- 1947年(昭和22年) |
20 | 望月永三郎 | 1947年(昭和22年)- 1947年(昭和22年) |
21, 22 | 中村新治 | 1948年(昭和23年) - 1954年(昭和29年) |
1910年(明治43年)1月、東京市の小森徳八らにより秦野電気合資会社が設立され、小田原電気鉄道(後の箱根登山鉄道)から電力の供給を受ける形で電力事業が始まった[4][5]。1916年(大正5年)6月、経営権の買収により電力事業は町営となった。秦野を通る富士瓦斯紡績会社(後の富士紡)の東京への送電線を利用して受電していた[5][6]。1942年(昭和17年)11月16日、関東配電株式会社(後の東京電力)から出資設備価格に相当する株式(額面50円の普通株式9269株と16円の現金)が発行され、町営電気事業は終了した[5]。
現在の秦野市の地域区分では本町地区と区分される。住所としては「秦野市上大槻」「秦野市曽屋」など大字名が使われるほか、旧曽屋村地域では、住所表示の分割により、「秦野市文京町」「秦野市末広町」などの新地名も用いられる。
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