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かつて岐阜県飛騨市に本社を置いていた第3セクター鉄道事業者 ウィキペディアから
神岡鉄道株式会社(かみおかてつどう)は、かつて岐阜県飛騨市に本社を置いていた、第三セクター方式の鉄道会社である。
旧日本国有鉄道の特定地方交通線であった神岡線を引き継ぎ運営していた。鉄道事業以外に自動車整備業なども手掛けていたほか、2006年3月までは旅行業なども行っていた。
神岡鉱山前駅近くにある神岡鉱山からの硫酸の安定輸送のため、鉄道として存続した。そのため、神岡鉱山を経営する神岡鉱業の親会社である三井金属鉱業株式会社が、株式の51%を保有する大株主だった。
1966年10月6日に開業した神岡線は、山岳地帯に建設された路線で、トンネルが全体の約6割あるため、開業当時の新聞報道では「山奥の地下鉄」と書かれた[1][注釈 1]。以前は旅行者や岐阜県飛騨市から富山県富山市への通勤・通学者の交通手段として一定の地位を保っていたものの、次第に路線バスや自家用車に押されて利用者が減少し、2004年度には1日の平均利用者数が100人を下回っていた。
神岡鉱山からの硫酸輸送は、貨物自動車輸送への切り替えにより2004年10月に終了し、当鉄道の貨物営業は同年12月31日限りで休止した。これにより鉄道部門の収入の7割以上を占め、神岡鉄道の経営を支えてきた貨物輸送が無くなった事による経営への影響が懸念されていた。結局、翌2005年6月29日の取締役会で神岡線を2006年末限りで廃止する方針が決まり、2005年8月2日の臨時株主総会を経て、同年11月国土交通省に鉄道事業廃止届が提出された。これにより2006年12月1日での神岡線廃止が公的にも承認された。この間、いくつか飛騨市に経営移譲を申し入れる動きがあり、東京の旅行会社「トラベルプランニングオフィス」の代表である中尾一樹は神岡鉄道の経営権承継を求めて、大株主の三井金属鉱業を相手取り株主代表訴訟を提起し係争中であったが、結局裁判を取り下げた。
その後2006年9月、飛騨市市長が定例市議会で、神岡鉄道廃止後に鉄路を不定期の観光鉄道として存続させる道を模索する意向を表明し、動向が注目された。しかし、2008年2月に行われた飛騨市長選挙で、観光鉄道化に反対する候補に現職市長が敗れ、復活は極めて困難な見通しとなった。
2007年1月16日放送のテレビ東京『日経スペシャル ガイアの夜明け』で赤字ローカル線の話題が取り上げられ、神岡鉄道最後の定期利用客が取材された。廃止時、定期券の所持者は富山市の高等学校に通う高校生1人だけであった。
なお、神岡線の廃止の際のバス路線への転換は行われなかった。
貨物列車牽引用にディーゼル機関車を所有していた。
このほか長良川鉄道のトロッコ列車(NTB-209形ディーゼル機関車・長良川鉄道ながら3形客車使用)が貸し出されて神岡鉱山駅 - 奥飛騨温泉口駅で運転されていたことがあった。
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