糞石(ふんせき、coprolite)とは、

以下では考古学古生物学的な糞石について述べる。

考古学における糞石は、花粉寄生虫など内容物を分析することにより、当時の食生活や狩猟採集生活から食糧栽培段階への移行、健康状態など数多くのことがわかる考古資料である。

考古学における糞石研究

Thumb
鳥浜貝塚出土の糞石。福井県立若狭歴史民俗資料館所蔵。新潟県立歴史博物館の展示。

糞石研究は新大陸考古学において発展した。酸性土壌の卓越する日本では有機物が残存しにくかったため研究が遅れていたが、近年では福井県若狭町縄文時代前期(約5,500年前)の遺跡鳥浜貝塚において2,000点をこす糞石が出土しており、糞石研究の発展におおいに寄与した。その形態は国際基督教大学の千浦美智子によって「ハジメ」、「シボリ」、「バナナジョウ」、「コロ」、「チョクジョウ」などの愛称で分類されている。糞石を観察すると、肉眼でも魚骨種子などがふくまれているのが判別できることがあるが、薬品処理(三リン酸ナトリウム)によって元の色や匂いまで取り戻すことが可能な場合がある。その結果、食事内容・料理法・糞をした季節・病気など、食生活とその環境を中心として多くのデータを集めることができる。 鳥浜貝塚以外で糞石を出土した遺跡には、粟津湖底遺跡第3貝塚(滋賀県大津市、縄文時代中期)、唐古・鍵遺跡奈良県田原本町弥生時代中期)、青谷上寺地遺跡鳥取県鳥取市、弥生時代)などがある。

また、人間が残した古糞便英語版は考古学以外でも資料とされる[1]

古生物学における糞石研究

化石収集家であったメアリー・アニングは、イングランド南部のライム・リージス英語版ドーセット州)のライアス層英語版群(前期ジュラ紀)で発見された魚竜の骨格腹部にベゾアール(結石)がしばしばみられることに、1824年時点で気づいていた[2]。また、彼女はこの結石が損壊されるとき、しばしば化石化した魚骨や魚鱗、ときには小さな魚竜の骨まで含んでいたことに言及した。1829年、地質学者ウィリアム・バックランドは、この石を化石化した糞便であると見なして”coprolite"(糞石)と名付けたが、それはアニングによる観察にもとづいている。

脚注

関連項目

外部リンク

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.