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青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)は、鳥取県鳥取市青谷町青谷にある縄文時代末から平安時代にかけての複合遺跡[1]。特に弥生時代の集落遺跡として知られる。国道青谷羽合道路及び鳥取県道274号青谷停車場井手線の建設にともない、1998年(平成10年)度から3年3か月の期間をかけて、遺構面の面積で延べ約55,000平方メートルが発掘調査された。典型的な低湿地遺跡で、弥生人の脳をはじめとする多彩な遺物が出土したことから「弥生の地下博物館」とも呼ばれている[2]。2008年(平成20年)に国の史跡に指定された[3]。
およそ1.5キロメートル四方の青谷平野の中央部に位置し、当時の地形の高低を利用した遺構が残されている。地形の高かったところでは無数の土坑群やピット群が検出されているが、周辺の低湿地部では水田域を確認している。いずれにおいても厚い遺物包含層が形成されており、複数の遺構面が介在する。
遺跡は弥生時代前期後半に集落としての姿を現し、中期後半に著しい拡大を遂げ後期に続くが、古墳時代前期初頭に突如として姿を消す[2]。
遺構で目を引くのは、杉の板材を用いた護岸施設である[2]。遺跡の南東部で検出された弥生時代中期後半の護岸施設には長さ260センチメートル・幅70センチメートルの巨大な板を数枚立て並べたうえ杭で固定していた。後期になると地形の高い範囲を取り囲むように溝がめぐらされているが、ここには矢板列を幾重にも打ち込んでいた。こうした護岸施設の中には建築部材を転用したものが含まれている。
遺物は膨大な数の土器以外に、鉄器・青銅器・木器・石器・骨角器など多彩で、後述の遺物も合わせ弥生時代の情報量の多さは特筆される。
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