石狩金沢駅
かつて北海道石狩郡当別町にあった北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
石狩金沢駅(いしかりかなざわえき)は、北海道石狩郡当別町字金沢にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130206[1]。
歴史

- 1935年(昭和10年)10月3日:国有鉄道札沼線石狩当別駅(現・当別駅) - 浦臼駅間の開通[報道 2]に伴い、同線の駅として開業[2]。一般駅[3]。
- 1944年(昭和19年)7月21日:第二次世界大戦の激化に伴い、札沼線の石狩当別駅 - 石狩月形駅間が不要不急線に指定されたため、営業休止[3][4]。
- 1946年(昭和21年)12月10日:札沼線 石狩当別駅 - 浦臼駅間の営業再開に伴い、営業再開[3][5]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1979年(昭和54年)2月1日:貨物・荷物扱い廃止[6]。駅員無配置駅となり[7]、簡易委託化。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[8]。
- 1991年(平成3年)3月16日:札沼線に「学園都市線」の愛称を設定[報道 2][報道 3][9]。
- 1996年(平成8年)3月16日:札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[9]。
- 2000年(平成12年):札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む桑園駅 - 石狩月形駅間に自動進路制御装置 (PRC) を導入[10]。
- 2020年(令和2年)
駅名の由来
当駅の所在する地名「金沢」に、北陸本線金沢駅と区別のため旧国名「石狩」を冠する。地名の由来は以下の諸説があるが、いずれも石川県金沢市に由来する。
駅構造
廃止時点で単式ホーム1面1線を有する地上駅だった。石狩当別駅が管理していた無人駅でヨ3500形のヨ4436改造の駅舎を有していた。
1976年の時点では、駅表側に島式、駅裏側に単式の複合ホーム2面3線を有する交換可能駅で、駅舎と島式ホームの間には駅舎横の新十津川方にある貨物ホームへの貨物積卸線があり、島式ホームの駅舎側は使用されておらず、旅客用としては実質的には相対式ホーム2面2線だった。貨物取扱廃止と無人化に伴い、貨物線は札幌側が寸断されて保線用引込み線となり、駅裏側ホームとレールが撤去されて単式ホーム1面1線となった。その後、引込み線も撤去されて完全に棒線化された。
2020年5月7日の北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標が撤去された[新聞 4]。
- 駅全景(2004年6月)
- ホーム(2017年7月)
- 設置されていた駅名標(2017年7月)
利用状況
- 1950年(昭和25年)の1日平均乗車人員は105人[13]。
- 1955年(昭和30年)の1日平均乗車人員は122人[13]。
- 1960年(昭和35年)の1日平均乗車人員は192人[13]。
- 1965年(昭和40年)の1日平均乗車人員は223人[13]。
- 1969年(昭和44年)の1日平均乗車人員は133人[13]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗降人員調査(11月の調査日)平均は「10名以下」[報道 5]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は2.8人[報道 6]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は3.2人[報道 7]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は2.8人[報道 8]、乗降人員調査(11月の調査日)平均は「3名以下」[報道 9]。
- 2015 - 2019年(平成27 - 令和元年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は2.6人[報道 10]。
駅周辺
駅前に旧町立金沢小学校の跡地(校門は現存している)を分譲した民家が数軒と肥料の工場がある。新篠津村との境界が付近にある。駅から300mほど離れた位置にキャンプ・温泉リゾート施設「北海道ふくろう乃湯リゾート」が、コロナ禍により閉鎖していた温泉施設「開拓ふくろふ乃湯」の跡地に開業した[14]。
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
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