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石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3月14日[1] - 1989年(平成元年)4月14日[1])は、日本の官僚、歴史学者。行政管理庁行政管理局長、法学博士。
兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市生野町)で、石川伊兵衛の四男として生まれる[2]。第一高等学校を卒業[3]。1932年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業[1][2][3]。1935年10月、高等試験行政科試験に合格[2][3]。1936年、内閣に入り内閣調査局属となる[3][4]。
以後、企画庁属、企画院事務官・内政部勤務、地方事務官・富山県勤務、埼玉県地方課長、同商工課長、奈良県地方課長兼振興課長、静岡県官房主事、企画院調査官、軍需省軍需官などを歴任[2][4]。
戦後、東北地方行政事務局第一兼第二部長、宮城県経済部長、大阪管区経済調査庁査察部物資課長、東京管区監察局第二部第二課長、岡山地方監察局長、名古屋管区行政監察局第二部長、行政管理庁行政監察局監察審議官などを歴任し、1963年12月、行政管理庁行政管理局長に就任[2]。1964年に退官し、その後、日本電気顧問、阪神外貿埠頭公団監事、日本大学講師など務めた[1][2]。
また、歴史研究にも取り組み、1959年、著作『生野銀山と生野代官』が日経・経済図書文化賞を受賞し[2]、1962年、「生野代官を中心として観た江戸時代代官制度の研究」により京都大学から法学博士号を授与された。特に官僚時代、国家総動員計画に携わったことから、その記録を取り纏めることを使命として『国家総動員史』全13巻を刊行した[1]。
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