石上泰輝
日本の野球選手 (2001-) ウィキペディアから
石上 泰輝(いしかみ たいき、2001年5月18日 - )は、徳島県鳴門市出身[2]のプロ野球選手(内野手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
経歴
要約
視点
プロ入り前
鳴門市明神小学校で2年生の時に明神ブレーブスで野球を始める[3]。鳴門市第一中学校では軟式野球部に所属し、3年時は主将を務めて全国中学校軟式野球大会に出場した[3]。
徳島県立徳島商業高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年秋から二塁手のレギュラーを務めた。この時点では高校卒業後に野球を引退して就職する意向だったが、その後出場した秋季四国大会にて、英明との初戦で4安打を記録して勝利に貢献[4]。大舞台で結果を残し、「関東の大学でプレーしたい」という意欲が芽生えた[4]。3年夏は徳島大会準決勝で鳴門に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった[4]。高校通算11本塁打[3]。
高校卒業後は東洋大学へ進学。1年秋からベンチ入りし、2年秋から二塁手のレギュラーを務めた。3年春からは遊撃手を務め、中央大学との入れ替え戦第1戦では西舘勇陽から満塁本塁打を放ち勝利に貢献したが、その後連敗し1部リーグ昇格を逃した[5]。4年春のリーグ戦では駒澤大学との入れ替え戦に勝利し、1部リーグ昇格を果たした[6]。
2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから4位指名を受けた[7]。指名当日は、大学同期の細野晴希が先に北海道日本ハムファイターズから1位指名を受けていたため、細野を囲み野球部の集合写真撮影が行われていた瞬間に石上もDeNAから指名を受け、仲間の歓声で指名に気付き祝福を受けた[8]。11月20日に契約金4900万円、年俸850万円(金額はいずれも推定)で仮契約した[9]。背番号は44[10]。
DeNA時代
2024年は、春季キャンプからA班でのスタートとなり、練習試合からパンチ力のある打撃でアピールを続け、オープン戦では3月3日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム)で平野佳寿から、12球団の新人選手では第1号となる本塁打を記録した[11]。規定打席未満ながら打率.327を記録。5つの盗塁を成功させてオープン戦の盗塁王となった[12]。開幕一軍入りとなり、3月29日の広島東洋カープとの開幕戦(横浜スタジアム)では、「8番・遊撃手」で先発出場した。初打席ではバットを折られて一塁前のゴロになるものの、一塁手のジェイク・シャイナーが送球先を迷う間に一塁を駆け抜け、初安打を記録した[13]。この後に「1番・右翼手」で先発出場した度会隆輝の初安打となる本塁打で本塁を踏み、開幕戦で新人が揃って初安打を記録するのは球団初となった[14]。その後も多くの試合で遊撃手として先発起用されていたが、4月26日の試合での安打を最後に20打席無安打と調子を落とし、5月9日に出場選手登録を抹消された[15]。7月18日、チーム事情で出場辞退した井上絢登に代わってフレッシュオールスターゲームに補充された[16]。20日開催のそのフレッシュオールスターではイースタンの「1番・三塁手」として先発出場すると、2打席目に先制点となる1点本塁打を放ち[17]、優秀選手賞を受賞した[18]。その後はシーズン終了まで一軍昇格は無く、1年目の一軍成績を26試合、打率.183、3打点で終え[19]、二軍では78試合、打率.222、4本塁打、20打点の成績を残した[20]。11月9日、100万円増となる推定年俸950万円で契約を更改した[21]。
2025年は開幕を二軍で迎える。二軍で23試合に出場し、打率.309、10打点、4盗塁と躍動すると、森敬斗に代わって4月26日に同年初めて一軍昇格した[22]。27日の対広島戦で「8番・遊撃手」として同年初スタメン起用された[23]。
選手としての特徴・人物
遠投120メートルの強肩と、50メートル5秒9の俊足を武器にした打撃と守備が持ち味[24]。本職の遊撃のほか、二塁、三塁も守れる[25]。
筋肉量の多いガッチリとした体格で、ベンチプレスは140kg、デッドリフトは260kgを持ち上げるほどのパワーを持ち、打撃のタイプとしては石井琢朗コーチからはパワーヒッターと評されている[26]。
愛称は「(ハマの)カミカミ」[27]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2024年度シーズン終了時
記録
- 初記録
背番号
- 44(2024年[10] - )
登場曲
奇数打席
- 「In My Life」SALU
偶数打席
- 「BRIGHT」三代目 J SOUL BROTHERS
脚注
関連項目
外部リンク
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