甲立古墳

ウィキペディアから

甲立古墳map

甲立古墳(こうたちこふん)は、広島県安芸高田市甲田町上甲立にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

概要 甲立古墳, 所在地 ...
甲立古墳
Thumb
墳丘(左に前方部、右奥に後円部)
所在地 広島県安芸高田市甲田町上甲立54-3ほか(字江田)
位置 北緯34度42分18.07秒 東経132度45分16.90秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長77.5m
高さ7-8m(後円部)
埋葬施設 (推定)竪穴式石室または礫槨
出土品 埴輪
築造時期 4世紀後半
史跡 国の史跡「甲立古墳」
特記事項 広島県第2位の規模
地図
Thumb
甲立古墳
テンプレートを表示
閉じる

広島県では第2位の規模の古墳で[注 1]4世紀後半(古墳時代前期末)頃の築造と推定される。

概要

広島県北部、旧甲立町市街地の北西、菊山南東麓の尾根上に築造された古墳である。2008年平成20年)に古墳として認知され、2010年度(平成22年度)以降に発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方後円形で、墳丘主軸を南北方向として前方部を南方に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成[1]。墳丘長は77.5メートルを測り、広島県内では三ツ城1号墳東広島市、墳丘長92メートル)に次ぐ第2位の規模になる[注 1]。墳丘外表では全面に葺石が認められるほか、円筒埴輪列(朝顔形埴輪・楕円筒埴輪含む)・形象埴輪(蓋形・甲冑形・船形埴輪など)が検出されている[2]。墳丘周囲に周溝は巡らされていない[1]。埋葬施設は後円部中央部に構築されており、長大な墓壙が検出されている[3]。墓壙内の調査は実施されていないため詳らかでないが、電気探査では竪穴式石室や礫槨のような石を使用した施設と推測される[3]。副葬品は詳らかでない。

この甲立古墳は、古墳時代前期末の4世紀後半頃の築造と推定される[2]。均整な墳形、緻密な葺石、丁寧かつ精巧な家形埴輪の点で極めて畿内色の強い古墳であり、当地が瀬戸内海と日本海を結ぶ内陸交通上の要衝として畿内ヤマト王権から重要視された様子を示す古墳になる[3]

古墳域は2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている[4]。なお、本古墳の北約150メートルでは甲立2号墳(甲立第2号古墳、3世紀末-4世紀初頭頃の方墳)が確認されている[5]

遺跡歴

  • 2008年平成20年)、踏査により古墳として認知(それまでは山城(柳ヶ城)の1郭として認知)[1]
  • 2010年(平成22年)1月20日、安芸高田市指定史跡に指定[1]
  • 2010-2013年度(平成22-25年度)、第1-4次発掘調査(安芸高田市教育委員会、2015年に報告書刊行)[1]
  • 2016年(平成28年)3月1日、国の史跡に指定[4]
  • 2018-2019年度(平成30-令和元年度)、発掘調査(安芸高田市教育委員会)[6][7]

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1][2]

  • 墳丘長:77.5メートル
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:56.2メートル[1](または54.6メートル[2]
    • 高さ:7-8メートル
    • 墳頂直径:13.0メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 長さ:29.0メートル
    • 幅:30.5メートル

後円部中央では長さ7.5メートル・幅2.8メートルの長大な墓壙が検出されている。また中央の南東寄りには石敷区画があり、家形埴輪5個体(切妻造高床建物2・囲形状1・小型2)が一列に並んだ状態で配置されている[2]。また後円部中央の浅い落ち込みからは子持家形埴輪が出土しており、全国的にも珍しい例として注目される[2]

後円部最上段の外縁には埴輪列が巡らされる。円筒埴輪・楕円筒埴輪・蓋形埴輪などからなる埴輪列であり、発掘調査によれば埴輪樹立の際に埴輪の高さを揃えようとした意図が認められる[3]

文化財

国の史跡

  • 甲立古墳 - 2016年(平成28年)3月1日指定[3][4]

現地情報

所在地

交通アクセス

関連施設

  • 安芸高田市歴史民俗博物館(安芸高田市吉田町吉田) - 甲立古墳の出土品等を展示。

周辺

  • 柳ヶ城
  • 五龍城 - 広島県指定史跡。

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.