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田中 しょう(たなか しょう、1955年2月20日 - )は、日本の4コマ漫画家。長野県佐久市出身。本名は田中省三。長野県岩村田高等学校卒業、千代田デザイナー学院中退[1]。
牧野圭一のプロダクションに所属後、1979年に葉月シモン名義の「ハート泥棒レビアン」で『週刊マーガレット』の新人賞に佳作入選。デビュー作となる。
その後『週刊マーガレット』誌上に作品が掲載され、短編集としてコミックス化もされたが少女漫画家としての活動を休止。田中しょうにペンネームを変え1983年より4コマ漫画を描くようになる(その当時の別ペンネームに駒場峻がある)。作風も大きく変わり、植田まさしの絵柄に類似した作風と植田の需要を補完する「植田まさしフォロワー」作家の第一人者として、長きにわたり活躍することとなっていった。植田本人とも面識があり、牧野圭一の弟子で少女漫画のキャリアもあることから「私よりずっと画がうまい。線がちゃんと引けていてブレない」と認められている[2]。
4コマ漫画家に転身してからは『あさかぜ君』『ばんだい君』などヒットを飛ばし、2000年以降は複数の地方紙で『あんずちゃん』を連載している。
4コマ漫画誌の主力として長らく活躍してきたが、4コマ漫画界全体の世代交代の波に押され、2009年末から2010年始めにかけて4コマ漫画誌に連載中の作品の終了が相次ぐこととなり、2010年3月号の『あさかぜ君』の終了をもって4コマ漫画誌から撤退した。
4コマ漫画雑誌で連載されていた漫画の代表作。都会でフリーター生活を送る青年とその近所の住人の日常を描く。
4コマ漫画雑誌で連載されていた漫画の一つ。とある銭湯を営む一家の日常を描く。屋号「あいづ湯」の家族の名前は浴室関係の名称に因んでおり、なおかつ会津磐梯山と銭湯の番台を捩っている。
北海道新聞で連載されている漫画。王貞治を超えるために野球を続ける青年とチームメイトたちの日常を描く。
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