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瓦谷1号墳(かわらだにいちごうふん、瓦谷古墳)は、京都府木津川市州見台(くにみだい、旧相楽郡木津町市坂)にあった古墳。形状は前方後円墳。瓦谷古墳群を構成した古墳の1つ。現在では墳丘は失われている。出土品・変形四首鏡は京都府暫定登録文化財に登録されている。
京都府南部、平城山丘陵末端部の丘陵尾根の先端部に築造された古墳である。一帯は関西文化学術研究都市として開発されており、1986年(昭和61年)以降の開発に伴う発掘調査で、前方後円墳1基(1号墳)・方墳(方形周溝墓)8基・円墳(円形周溝墓)1基・木棺墓1基・埴輪棺墓26基・土器棺墓2基・土壙墓8基以上が確認されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を南方向に向けた(調査時点で前方部墳丘は削平)。墳丘外表に段築・葺石はないが、埴輪が検出されている[1]。埋葬施設は後円部における粘土槨(内部に平底木棺)・組合式箱形木棺の2基。西側の粘土槨(第1主体)の調査では、中央部が盗掘に遭っているものの、鍬形石製品・武器・農工具・甲冑が検出されている[1]。東側の組合式箱形木棺(第2主体)の調査では、銅鏡(仿製獣首鏡)・竪櫛・ガラス小玉・武器のほか、推定有機質地漆塗短甲・推定有機質地漆塗草摺・革製漆塗靫が検出されている[1]。また墳丘内・墳丘裾には、埴輪棺・土器棺などの従属埋葬が認められる[1]。
築造時期は、古墳時代前期後半の4世紀後半頃と推定される[2]。木津川流域では、瓦谷古墳群のほかにも中小古墳群が点在しており、それぞれの群は小地域社会の基盤上に営まれたとされる[2]。なかでも瓦谷古墳群は、大和から東方の伊賀・伊勢へ抜ける交通路上の要衝に位置しており、1号墳は初期甲冑を保有する前期前方後円墳であることから、畿内ヤマト王権の東方進出を考察するうえで重要視される[2]。
墳丘の規模は次の通り[2]。
発掘調査で検出された副葬品は次の通り[1]。
第1主体 (粘土槨・平底木棺) |
第2主体 (組合式箱式木棺) | ||
---|---|---|---|
棺内 | 鍬形石製品 3 方形板革綴短甲 1 小札革綴冑 1 鉄鏃 46 鉄剣 1以上 鉄刀子 1以上 鑿 破片 鉇 破片 ヤス 破片 |
棺内 中央区画 |
仿製獣首鏡 1 竪櫛 1以上 鉄剣 1 鉄刀 1 |
棺内 北側区画 |
ガラス小玉 5 竪櫛 18 推定有機質地漆塗短甲 1 推定有機質地漆塗草摺 1 鉄刀子 1 針状鉄製品 1 | ||
棺内 南側区画 |
革製漆塗靫 1 (銅鏃1、鉄鏃40) | ||
棺外 | 鉄槍 7 | 棺外 | 鉄刀 1 鉄槍 4 鉄鉾 2 鉄斧 1 |
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