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熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件(くまがやようけいじょうしゅくしゃほうかさつじんじけん)とは、1989年(平成元年)4月5日に埼玉県熊谷市で発生した、保険金の獲得を目的とした放火殺人(保険金殺人)事件。
1989年(平成元年)4月5日21時20分ごろ、熊谷市内の養鶏場のプレハブ平屋宿舎が放火され、住み込み従業員の男性A(当時53歳)[注 1]が全治4か月の火傷を負ったほか、Aの妻である女性Bが死亡した(48歳没)[注 2]。火元の宿舎約20平方メートルは全焼した。従業員の男X(本名のイニシャルは「F・D」・当時64歳)[注 3]に犯行を依頼した経営者の男W(本名のイニシャルは「N・S」・当時49歳)に保険金2,773万円が入り、Xに報酬として300万円を支払った。Aは当時、埼玉県警察による事情聴取に対し、「出火した際はおじちゃん(X)がおり、火を点けた」と証言するもその後「覚えていない。ガスの不始末かもしれない」と変遷した。事件発生から13年が経過した2002年(平成14年)に「Xが室内に油を撒いているのを見た」と再び当初の証言に戻った。このため、埼玉県警は同年7月11日に男X(当時77歳)[注 3]を、同月22日に男Wをそれぞれ逮捕した。
さいたま地方検察庁は2002年8月1日、WおよびXの被疑者2人を殺人・殺人未遂および現住建造物等放火の罪でさいたま地裁に起訴した。
被告人Wは無罪を主張したが、2003年(平成15年)5月12日、さいたま地裁(川上拓一裁判長)で無期懲役の判決(求刑:死刑)を言い渡された。さいたま地検は量刑不当として控訴し、被告人Wも無罪を求めて控訴した。
控訴審で、被告人Wは「警察での自白は虚偽だった」と無罪を主張したが、東京高裁(田尾健二郎裁判長)は2005年(平成17年)5月26日に、原判決(無期懲役)を支持して双方の控訴を棄却する判決を言い渡した。東京高裁 (2005) は「自白は信用でき、事実誤認もない」として、Wの主張を退けた一方、「矯正可能性がない」として死刑を求めていた検察官の主張も退けた。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は同年11月29日付で、被告人Wの上告を棄却する決定を出したため、被告人Wは無期懲役が確定した。
一方、被告人X[注 3]は、逮捕後の警察の捜査では罪を認めていたが、第一審の公判では無罪を主張。証言をした被害者Aには、軽度の知的障害があったため、その証言の信用性が焦点になったが、さいたま地裁第3刑事部(川上拓一裁判長)は2003年7月1日の第一審判決公判で、検察官の求刑通り、被告人X(当時78歳)[注 3]に死刑判決を言い渡した[2]。さいたま地裁 (2003) は、心理学者の意見書を採用し、「(Aは)境界線知能の水準だが、長期記憶の保持能力に劣るところはない」として検察側主張を認めた。また報酬として受け取った300万円が養鶏場の記録にあることなどから有罪と判断したほか、被告人Xが本事件以前に、女性1人を殺害して懲役20年に処された前科があったことなどを、死刑選択の理由として挙げた。
控訴した被告人Xは、控訴審では状況証拠がないことや、自白の信用性を否定する旨の主張を展開し、無罪を主張した。2006年(平成18年)9月26日、東京高裁(池田修裁判長)は原判決(死刑を選択した第一審判決)を破棄自判し、被告人Xに無期懲役を宣告した。東京高裁 (2006) は、首謀者であるWの無期懲役が確定していたことから、「Wの無期懲役とは歴然とした差異のある極刑は、共犯者間の刑の均衡を失する懸念をぬぐい難い」と指摘したほか、「被告人XはWに利用され、巻き込まれた面があるのは否定できない。被告人Xの年齢(当判決時82歳)[注 3]などを考えると、極刑はいささか躊躇を覚えざるをえない」と述べた。被告人Xは最高裁に上告したが、上告中の2007年(平成19年)5月28日に東京拘置所内で病死(82歳没)[注 3][3]。これを受け、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は同年6月12日付で公訴棄却の決定を出した[3]。
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