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録画された対話がない映画 ウィキペディアから
無声映画(むせいえいが、無聲映畫)とも呼び、対概念はトーキー(発声映画)である[1]。サイレント映画のフィルムには音声トラックが存在しないが、トーキーフィルム登場後に音声トラックに劇伴を収録したサイレント映画を「サウンド版」[2]、さらに日本では活動弁士による解説も収録したサウンド版を「解説版」と呼ぶ。このように、映画はもともとサイレントであったので、サイレント映画という呼称はレトロニムである。
19世紀後期の映画の発明以降の約40年間、1927年(昭和2年)に世界初のトーキー『ジャズ・シンガー』が発表・実用化されるまで、商業的に世界各国で製作・公開されていた映画は殆どがサイレント映画であった。サイレント期の劇映画は、パントマイム演技とカットタイトルの字幕によるセリフ・ト書きで表現する芸術であったが、日本では、各常設活動館(現在の映画館)に常駐した活動弁士による生の解説に負うところが大きかった[3][4]。
日本では、1930年代前半(昭和初期)にトーキーに移行し始めたが、剣戟映画を中心に1938年(昭和13年)まではサウンド版を含めたサイレント映画が製作・公開されていた[5]。 また、トーキー・サウンド版定着初期はトーキー・サウンド版作品を上映できる設備がまだ整っていない映画館も多く、その映画館向けにトーキー・サウンド版作品を無声映画仕様に編集して上映していた。
世界最初の映画は、1888年(明治21年)にルイ・ル・プランスが生み出した。オークウッド・グランジ庭園を歩き回る人々を撮影した上映時間2秒の作品で、タイトルは『ラウンドヘイ・ガーデン・シーン(ラウンドヘイの庭の場面)』(Roundhay Garden Scene)である[6][7]。モーション・ピクチャー(活動写真)の芸術・技術は、「サイレント期」と呼ばれる時代に全面的に成熟し、その後1920年代末に、発声映画(トーキー)にとって替わった。多くの映画学者らは、新しく到来した「トーキー」に監督や俳優、スタッフたちが適応するまでの数年間、映画の美的クォリティは減少したと指摘している[8]。
サイレント映画の映像美、とりわけ1920年代に製作された作品のクォリティは極めて高度である[9]。しかしながら、一般には、原始的なものであり現代人の鑑賞に堪える代物ではないとの誤解が広く存在する。誤った速度で映写されるなどの技術的エラー(サイレント映画標準の16fpsで撮影[注 1]されているにもかかわらず24fpsで映写される等)や、オリジナルプリントの消失による質の低いデューププリントやフィルム断片しか現存していないなどの保存状態の悪さに由来する誤解である[8]。
1927年(昭和2年)に世界初の長編商業トーキーとされる『ジャズ・シンガー』が出現するまでは、ほとんどがサイレント映画であった。音声がないという制約から様々な映画的テクニックが開発され、それは現代の映画にも引き継がれている。登場人物のせりふは字幕を挿入することで表現したが、俳優の演技は大袈裟なものにならざるを得なかった。
上映に際してはオーケストラやバンドによる音楽伴奏が付くことが多かった。日本では、上映中の映画の進行に合わせて、その内容を解説する活動弁士(活弁士)が活躍し、徳川夢声のような人気弁士も現れた。
トーキーが実用化されてからは、サイレント映画に音楽のサウンドトラックを付加したものが上映され、これをサウンド版という。トーキー以後の時代にも、サイレント映画(多くは厳密にはサウンド版)として製作された作品も存在する。ジャック・タチ、メル・ブルックス、アキ・カウリスマキらが、「その後のサイレント映画」を監督した映画作家である。
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