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『火の玉ボーイ』(ひのたまボーイ)は、「鈴木慶一とムーンライダース」名義で1976年に発表されたアルバム。
『火の玉ボーイ』 | ||||
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鈴木慶一とムーンライダース の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
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ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | エレクトラ / ワーナー・パイオニア | |||
鈴木慶一とムーンライダース アルバム 年表 | ||||
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『火の玉ボーイ』収録のシングル | ||||
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1974年11月20日 、はちみつぱいは山野ホールでのコンサートを最後に解散。1975年 から鈴木慶一はバンドの旧メンバーとともにアグネス・チャンのバッキング活動を本格的に始める。このとき鈴木のソロ・アルバムの制作の話が持ち上がり、同年春頃から年内いっぱいにかけてレコーディングが行われた[1]。オリジナルのレコードにプロデューサーの名前はクレジットされていない。ミキシング・エンジニアは松本裕、剣持幸三が担当した[2]。
ジャケットはデヴィッド・ボウイのアルバム『ジギー・スターダスト』(1972年)をイメージして作られた[3]。イラストレーションは中村まさみが描き、デザインは奥村靫正が行った。
タイトル・トラックの「火の玉ボーイ」は細野晴臣をモデルにしていると言われている。なお細野は、アルバム『泰安洋行』(1976年)において鈴木をモデルにした曲「東京Shyness Boy」を発表している[4]。
「ウェディング・ソング」は同日に発売されたあがた森魚の『日本少年(ヂパング・ボーイ)』にも収録されている[5]。「髭と口紅とバルコニー」のメロディとアレンジは、ヘレン・レディのヒット曲「デルタの夜明け」を下敷きにしている。
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