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北海道札幌市南区にある地名 ウィキペディアから
札幌の開拓が始まった明治初期、滝野一帯は深い森の中であり、木材の供給地として機能していた。1879年(明治12年)から翌1880年(明治13年)2月にかけて、開拓使は82馬力の水車を擁する製材工場・厚別(あしりべつ)水車器械場を建設した[4]。しかし経営は苦しく、赤字がかさむ一方だった[1]。
1882年(明治15年)に開拓使が廃止されたため、工場の管轄は工部省札幌工業課に遷された。さらに1883年(明治16年)には農商務省北海道事業管理局札幌工業事務所に移管。1884年(明治17年)には厚別木挽場と改称する。工場の稼動は木材を伐り尽くす明治20年代前半まで続いた[1]。
木材工場の閉鎖後、一帯はしばらく無人になったが、1899年(明治32年)に土地の貸下げを受けた阿部仁太郎によって開墾が始められた。小作人の多くは大曲から入植してきており、やがて仁太郎から土地の分譲を受けている。なお、すでに工場が閉鎖されて久しかったが、1902年(明治35年)に付けられた地名は器械場だった[1]。
1944年(昭和19年)、アシリベツの滝にちなんで、地名が滝野へと改称される[1]。
1953年(昭和28年)、周辺の土地がアメリカ軍の演習地として接収され、その影響で過疎が進行する[5]。軍撤収後の1960年(昭和35年)、演習場の跡地に農地を共同所有する「パイロットファーム」が開設されたが、不振に終わった。しかし1970年代から動き出した滝野すずらん丘陵公園の建設によって、一帯は観光地として活気を帯びるようになった。
滝野は隣接する清田区有明と並んで滝が多い[6]。滝野周辺は約4万年前に支笏湖を形成した火山からの火砕流堆積物が厚く、その一部は溶結凝灰岩となっている[7]。強溶結の部分は堅くて川の下方浸食を受けにくいので、やわらかい火山灰地層との境目で高低差ができ、滝が形成される。その滝が強溶結を削りながら後退していく過程で、川の本流と支流の合流点を越えると、本流に加えて支流にも新たに滝ができる。一帯に滝が多いのはこうした理由によると考えられる[8]。
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