死に至る病

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死に至る病

死に至る病』(しにいたるやまい、デンマーク語: Sygdommen til Døden)は、1849年コペンハーゲン[2]出版された[3][4]デンマーク哲学者思想家[5][6]セーレン・キェルケゴールの哲学書。副題は「教化と覚醒のためのキリスト教的、心理学的論述」[4]。キェルケゴールはアンティ=クリマクス(Anti-Climacus)と言う偽名を用いて本書を出版した。

概要 死に至る病 Sygdommen til Døden, 著者 ...
死に至る病
Sygdommen til Døden
著者 セーレン・キェルケゴール[1]
訳者 斎藤信治桝田啓三郎など
発行日 1849年
ジャンル 哲学
 デンマーク
言語 デンマーク語
形態 著作物
前作 Christian Discourses
次作キリスト教の修練
コード OCLC 10672189
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「ラザロの蘇生」(画:フアン・デ・フランデス

題名の「死に至る病」とは新約聖書ヨハネによる福音書』第11章4節から引用されているイエス・キリストが、病気で死んだ友人ラザロ蘇生させた際に「この病は死に至らず」[7]と述べたことに由来し、即ち絶望を意味する[8][9][10]。そのためここで扱われる絶望の意味は日常的に使われるものと大きく異なる。

第一部「死に至る病とは絶望である」、第二部は「絶望とは罪である」の二部で構成され[3]ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルを頂点とする近代の理性主義批判した[3]著書として名高い。

内容

『死に至る病』は、キェルケゴールによって著された著書だが、1849年の刊行当時はアンティ=クリマクス(Anti-Climacus)と言う偽名を用いて発行された。

出だしは新約聖書『ヨハネによる福音書』第11章4節で引用されている「この病は死に至らず」の話を紹介する文章から始まり、「死に至る病とは絶望である」と「絶望とは罪である」の二部で構成される。

本書でキェルケゴールは、死に至らない病が希望に繋がる事に対して死に至る病は絶望であると述べ[4]、絶望とは自己の喪失であるとも述べている[6]。しかし、この自己の喪失は自己のみならずとの関係を喪失した事となり[11]、絶望はであるとしている。そして人間は真のキリスト教徒ではない限り、自分自身が絶望について意識している、していないに関わらず実は人間は絶望しているのだと説いている[4]

その絶望は、本来の自己の姿を知らない無自覚の状態から始まり[12]、更に絶望が深まると「真に自己」であろうとするか否かと言った自覚的な絶望に至る。絶望が絶望を呼び、むしろ絶望の深化が「真の自己」に至る道であるとしている。

第二部では絶望は罪と説いており、この病の対処法としてキリスト教の信仰を挙げ、神の前に自己を捨てることが信仰であり[10]、病の回復に繋がるとしている[6]

また、人間が起こす躓きは大きく三段階に分けられるとしており、

  • 信じもしないが判断も下されない段階
  • キリストを無視し得ないが、信じることもできない段階
  • キリストを否認する段階

キェルケゴールはこの三段階が決定的な死に至る病であると述べている[9]

著書

日本語訳

その他への影響

脚注

参考文献

関連項目

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