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武蔵野ゴルフクラブ(むさしのゴルフクラブ)は、 東京都八王子市宮下町にあるゴルフ場である。
武蔵野ゴルフクラブ Musashino Golf Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 東京都八王子市宮下町656番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1960年(昭和35年)11月23日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 丸毛 信勝、富沢 誠造(改造設計) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 株式会社 武蔵野ゴルフクラブ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 |
戦後、第一次ゴルフ場建設ブームは、東京の多摩丘陵地域でも同様だった、1958年(昭和33年)からの7年間に11コースの新たなゴルフ場が誕生した[1]。1957年(昭和32年)2月頃、東京都八王子市宮下町と戸吹町に跨り広がる山林20万坪に目を付け、ゴルフ場建設へと買収に動いた者がいた、平和相互銀行を創業した小宮山常吉である[1]。小宮山は、元参議院議員だったが「政治よりももっと大衆の傍にある事業を」と手を付けたのがゴルフ場造りだった[1]。
1959年(昭和34年)6月20日、コース設計を丸毛信勝に依頼し、コースの造成工事が着工された[1]。ゴルフ場用地は、山林の地形は起伏よりも小さな谷の方が多く、大型ブルドーザーを使い土量を100万立方メートルほど動かした[1]。1960年(昭和35年)11月23日、造成工事は完了し、18ホールのゴルフ場が開場された[1]。造成工事はてこずった、土質が関東ローム層に石ころが混じる層で、芝付が芳しくなく苦労した[1]。開場式で丸毛は長靴を履いていたという、雨が降れば忽ち田圃になると悪評がたった[1]。
小宮山は、金融事情視察のため欧米に出かけた際、ゴルフ場を熱心に視察し、帰国後の1962年(昭和37年)1月、コース設計家の富澤誠造に依頼して、コースの大改造に取り掛かった[1]。同年5月から3カ月間18ホールをクローズし着工した、総工事費1億5千万円と平坦なコースなら18ホールは造れる費用だった。1962年(昭和37年)10月15日、コース改造工事は完成し、再開場された[1]。
小宮山が興したゴルフ場の専業企業「総武都市開発株式会社」は、武蔵野ゴルフクラブを契機に「中山カントリークラブ」(1961年(昭和36年)開場、設計・丸毛信勝)、「川越カントリークラブ」(1963年(昭和38年)開場、設計・中村寅吉、発知朗、大竹敏郎)、「総武カントリークラブ」(1987年(昭和32年)開場、設計・富沢誠造)、そして「環太平洋に100コース」を唱えて株式会社太平洋クラブへと発展していった[1]。2007年(平成19年)4月、民事再生法を申請し、総武都市開発グループは解体され、残り3社と共に独立行政法人となった[1]。
〒192-0005 東京都八王子市宮下町656番地
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