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楯縫郡
日本の島根県(出雲国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、出雲市の一部(小境町、坂浦町以西かつ斐伊川、東林木町、西林木町、別所町、唐川町、猪目町より北東)にあたる。
歴史
要約
視点
古代
律令制の施行により制定されたと考えられる。『出雲国風土記』によれば、郡名はこの地で杵築大社の神事道具として楯を造り始めたことに因むとしている。一方、古代日本語で「段丘上の平地」や「高地の端にある崖」を指すという説(根拠不明)もある。郡家は楯縫郷にあった。
郷里
天平5年(733年)2月30日に成立したとされる『出雲国風土記』には4の郷の内に12の里があったとされ、以下の郷の記載がある[1]。4つの郷にはそれぞれ3つの里があった。
式内社
近世以降の沿革

- 明治初年時点で、全域が出雲松江藩領であった。「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[2]。(26村7浦)
- 平田村、出来洲村、島村、水谷本庄村、万田村、小津浦、西々郷村[3]、東福村[3]、久多見村、東郷村、三浦、猪目村、小伊津村、多久村、多久谷村、園村、鹿園寺村、小境村、奥宇賀村、口宇賀村、国富村、河下村、別所村、唐川村、西代村[4]、東林木村、西林木村、美談村、十六島浦[5]、釜浦、塩津浦、唯浦、坂浦
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脚注
参考文献
関連項目
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