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日本の財閥 ウィキペディアから
森コンツェルン(もりコンツェルン)は、日本で形成されたコンツェルンの一つ。
実業家の森矗昶が創始し、戦後の財閥解体によって解散した。アルミニウムなどの電気化学工業中心で、日本産業、日本窒素肥料、日本曹達、理化学研究所とともに新興コンツェルンと呼ばれ、日本の15大財閥の一つに数えられた。
満州事変以降の軍事特需の追い風を受け、電気化学工業を中心として形成。最盛期(昭和16年頃)には、直系14社、傍系6社を擁する化学工業系大コンツェルンに成長していった。当時の日本ではまだ工業化されるに至らなかった硫安やアルミニウムなどの事業を先駆けて興し、これらを国産技術で作ることに成功している。森矗昶が、味の素の創始者鈴木三郎助(二代目)の起こした電力・化学会社に招かれた事から、戦前は味の素グループとも関わりがあった。また、安田善次郎が創始した安田財閥や川崎八右衛門が創始した川崎財閥などとも金融的に密接な繋がりを持っていた。戦後の財閥解体で解散。系列企業のうち、昭和電工や日本冶金工業などが存続している。
戦前から教育分野への出資も行っており、工場内に青年道場を設置、人材の育成を行っている他、玉川学園の小原國芳の要請により学生を受け入れるなど教育貢献も行っている。また、森矗昶と森曉が創立に関与した千葉工業大学に多額の出資をした他、産学連携の教育活動にも参加した。ちなみに興亜工業大学が、戦後、千葉に移転するきっかけとなったのも森家の意向と支援によるものだった。
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