日本のタレント (1974-) ウィキペディアから
森脇 和成(もりわき かずなり、1974年8月1日 - )は、日本の俳優、元芸人。広島県安芸郡熊野町出身。
地元広島の高校を中退後、圧接工になる[2]。1994年、有吉弘行がオール巨人の弟子修行をあきらめ、地元に帰ってきたことがきっかけで、ともに芸人を目指して「猿岩石」を結成し、上京。1995年、太田プロダクションの新人オーディションに合格しデビューした[1]。
1996年「進め!電波少年のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」で猿岩石はブレイク[1]。 テレビ番組に多数出演し、共同著書の『猿岩石日記』はベストセラーとなり、「白い雲のように」をはじめヒット曲も連発しアイドル的な人気を博す。 その後、猿岩石の人気は低迷し、地元広島のローカルタレント化していった。
森脇は副業でサパークラブ等の飲食経営を行っていたが、それを本業にして2004年猿岩石解散と同時に芸能界を引退する。その後、 実業家(株式会社スクラッチ専務)になっていたが、ほどなく退職。芸能界引退後に13種もの職業を転々としている。2007年に一般女性と結婚、子供を二人授かるが2013年に離婚、子供は元妻のところにいる。 2015年ブランド品の輸入販売会社で営業職をしているときに「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に講師として出演。番組の打ち合わせを重ねる過程で自分の人生を見直し、輸入販売会社社長の後押しも受けて、芸能界復帰を決意する[3]。
2015年に辺見プロモーションから芸能界復帰したが、ほどなく所属リストから外れ、現在は事務所には所属せずフリーで活動している[4]。2017年5月、YouTubeを始める[5]。ラファエルのコンサルを受け、最初の動画は100万回再生を超える順調なスタートを切ったが、その後は企業案件のPR動画のみとなり、徐々に人気は低迷。YouTubeチャンネルは2019年8月を最後に更新を停止した。
復帰にあたって、太田プロで先輩だった土田晃之はラジオで苦言を呈している[6]。2021年3月22日にWOWOWの「電波少年W 〜あなたのテレビの記憶を集めた〜い!〜」の配信回に出演した際には、プロデューサー兼出演者の土屋敏男が前述の「しくじり先生」で森脇が芸能界復帰を宣言したのを見て「本当にガッカリした、戻って来んなよ~」と、また同じく出演者の松村邦洋からは「一回辞めるって言ったら辞めないとさぁ」と両者から冗談半分で苦言を呈されてしまう。元相方の有吉は2017年1月9日放送の「いろもん極」にて「連絡があったが、(森脇が太田プロを辞めているので)電話に出なかった」と語っている。
有吉の関連の番組で猿岩石の過去映像を流す場合は、森脇の顔にはモザイク処理が施されている時がある[7]。一般人時代に「アメトーーク!」の2006年10月26日放送分の企画「元コンビ芸人」で、番組終盤に有吉と共演し「白い雲のように」を歌ったことがある[8][9]。
2024年現在、劇団ノーティボーイズに所属している[10]。
2024年12月4日、デビュー30周年を記念して新曲「夢の続きを」を配信決定。同日、森脇和成とユージーズバンドとしてのライブを銀座タクトで開催[11]。サブスクにて「夢の続きを」、「あなたがいれば」の2曲が配信 。
猿岩石時代の出演は当該項目参照。
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