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森田 茂(もりた しげる、1872年9月19日(明治5年8月17日) - 1932年(昭和7年)11月30日)は、日本の政治家。第24代衆議院議長[1]で、京都市会議長や京都市長も務めた。
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森田 茂 もりた しげる | |
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森田茂の肖像写真 | |
生年月日 | 1872年9月19日 |
出生地 |
日本 高知県香美郡佐岡村佐野 (現・高知県香美市) |
没年月日 | 1932年11月30日(60歳没) |
出身校 | 明治法律学校(現・明治大学)中退 |
前職 | 弁護士 |
第24代 衆議院議長 | |
在任期間 | 1927年3月26日 - 1928年1月21日 |
天皇 | 昭和天皇 |
選挙区 |
(京都府京都市選挙区→) 京都府第1選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1915年3月 - 1932年1月21日 |
第11代 京都市長 | |
在任期間 | 1931年12月21日 - 1932年11月30日 |
第16・18代 京都市会議長 | |
在任期間 |
1925年3月2日 - 1925年5月20日 1929年6月6日 - 1931年12月21日 |
その他の職歴 | |
高知県会議員 ( - ) |
高知県香美郡佐岡村佐野(現・香美市)に生まれる。1893年(明治26年)明治法律学校に入学。在学中に弁護士試験に合格し、明治法律学校を中退する[2]。
1901年(明治34年)、京都地方裁判所検事に就任する。翌年退職し弁護士業を開業した[2]。
1911年(明治44年)、京都市会議員に当選し[2]、のちに市会議長をつとめる[3]。1914年(大正3年)には尾崎行雄と政友会を去り中正会に属し、京都市に中正俱楽部を組織する。
1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に中正会から立候補して当選、衆議院議員になる。のち、中正会は立憲同志会等と合同して憲政会所属となる[2]。以降6回当選。
1927年(昭和2年)3月26日、第24代衆議院議長に就任(翌1928年1月21日退任)。
1931年(昭和6年)12月、第11代京都市長に就任[4]。しかし、就任から約1年後の1932年(昭和7年)11月30日に病死した。享年61(満60歳没)。12月6日に岡崎公会堂において市葬が営まれた。日蓮宗頂妙寺に葬られる。別に分骨して郷里佐岡村に葬られていたが、国道195号あけぼの街道延伸工事のため、2019年に墓じまいした。
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