森和俊

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森和俊

森 和俊(もり かずとし、1958年昭和33年〉7月7日 - )は、日本生物学者(分子生物学)。学位薬学博士京都大学1987年)。2024年3月末にて京都大学大学院理学研究科教授を定年退職[1]。同年4月から京都大学高等研究院特別教授[2]、名城大学薬学部特任教授[3]文化功労者[4]

概要 もり かずとし森 和俊, 生誕 ...
もり かずとし
森 和俊
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恩賜賞受賞に際して
公表された肖像写真
生誕 森 和俊(もり かずとし)
(1958-07-07) 1958年7月7日(66歳)
岡山県倉敷市
居住 日本
アメリカ合衆国
国籍 日本
研究分野 生物学
研究機関 岐阜薬科大学
テキサス大学
エイチ・エス・ピー研究所
京都大学
出身校 京都大学薬学部
博士課程
指導教員
山科郁男
他の指導教員 川嵜敏祐
主な業績 小胞体ストレス応答分子機構の解明
主な受賞歴 ガードナー国際賞(2009)
アルバート・ラスカー基礎医学研究賞(2014)
恩賜賞日本学士院賞(2016)
生命科学ブレイクスルー賞(2018)
慶應医学賞(2023)
その他多数、本文「賞歴」節を参照
プロジェクト:人物伝
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略歴

岐阜薬科大学薬学部助手テキサス大学博士研究員、エイチ・エス・ピー研究所主任研究員、京都大学大学院生命科学研究科助教授などを歴任した。

ホルモンやその受容体が高次構造を形成する場である小胞体の恒常性についての研究に取り組んでおり、小胞体ストレス応答分子機構を解明したことで知られている。岐阜薬科大学助手テキサス大学博士研究員を経て、由良隆が設立したエイチ・エス・ピー研究所にて主任研究員となった。のちに母校である京都大学に転じ、生命科学研究科の助教授理学研究科教授を歴任した。

人物

生い立ち

岡山県倉敷市児島出身。京都大学に進学し、工学部の合成化学科にて学んでいたが、利根川進の新聞記事を読み、分子生物学に興味を持つ[5]。そのため、工学部から薬学部に転学部し、生化学を学んだ。薬学部では山科郁男の研究室に在籍し、川嵜敏祐から指導を受けた。

生物学者として

京都大学から岐阜薬科大学に転勤することになった林恭三から誘われ、博士課程を中途退学して岐阜薬科大学で助手となる。テキサス大学に移り博士研究員となり、サンブルックとゲッシングの研究室に在籍した。帰国後、由良隆が設立したエイチ・エス・ピー研究所にて主任研究員に就任した。1999年、京都大学に移り、助教授に就任した。2003年、京都大学の教授に昇任した。ラスカー賞などの国際的医学賞を受賞していることから、「ノーベル賞まであと一歩に迫る男」と評されている[6]

研究

専門は生物学であり、特に分子生物学細胞生物学生物物理学といった分野の研究に従事した。細胞内の小胞体で作られた不良品のタンパク質がどのように感知され、処理されるかを明らかにした、小胞体ストレス応答の研究で知られる。

年譜

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文化功労者顕彰に際して文部科学省より公表された肖像写真

賞歴

栄典

著書

脚注

参照

外部リンク

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