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青森市の町 ウィキペディアから
桜川団地は1960年代前半から造成された団地である。
移住者は青森市中心部に住んでいた人が中心であり、かつては高級住宅街であった。当時は商店も多く人で賑わっていたが、今は寂れていて静かな住宅街となっている。
2001年に亀屋食彩館桜川店も閉鎖し、特に北部では商店が少なくなっている。
地区の中を走る桜川中央通りには桜の街路樹があり、青森市内有数の桜の名所とされている。
駒込川を挟んで、対岸の隣の松森地区には地元テレビ局(青森テレビ・青森放送の本社)が存在することから、ローカル放送では、それぞれの局の屋上カメラから、桜川地区の風景が映されることもしばしばある。
なお、リバーサイド桜川やみちのく銀行桜川支店は近隣の松原、奥野地区にあるにもかかわらず、桜川の名称を用いている。
桜川という地名の由来は、「殿様を出迎えるため、川岸に桜を植えたから」という風説もあるが、実際は、桜川団地形成の時に植えられたものである。
かつては南部の一部を除き田園風景が広がっていた。荒川と駒込川の合流部付近にあるため全体的に湿地帯になっており、田んぼや畑などにも不向きな地であった。筒井村の子供などが遊び場であったと伝えられる。
桜川一~五丁目 筒井字桜川の一部 桜川六丁目 筒井字桜川、浦町字奥野の各一部。 桜川七~九丁目 筒井字桜川の一部
街路樹として桜が植えられており、毎年春になると桜のトンネルが出来ることで知られている。この桜は団地の造成が行われた際に同時に植えられたものである。毎年春には桜祭りが行われている。開花した時の景観は非常にいいが、桜の根の成長により、歩道に凸凹が見られる。とはいえ、この桜が桜川団地の名前を青森市内に広く知らしめていることは紛れもない事実である。また、ここにある桜は道路や排気ガスの熱で市内でもかなり早く咲く桜となっている(サンロード青森の排気口付近の桜も相当早く開花する)。
4月の後半ごろに、桜川通り北部では桜川団地町会主催で、桜祭りが一日限りで夕方から夜にかけて行われている。夜桜市と呼称されている。桜祭りでは、提灯を車道と歩道の境界に吊るし、桜川通りの一部を通行止めにして露店を設けていて、多くの人が訪れている。
夏には地域ねぶたが子供達の手で運行されている。桜川団地町会の桜川団地町会子供育成部と、南桜川団地町会の南桜川団地子供会指導部の二つの団体がそれぞれ主催している。
地区には東西にいずれも二級河川である堤川(もしくは荒川)と駒込川が流れている。いずれも堤防はコンクリートで高く作られており、河川に直接触れることは困難である。荒川の方では中州が現れることはほぼないが、駒込川の場合は水量が少ない場合中州が現れることもある。かつて荒川と駒込川の合流部であるこの付近は、戦国時代に堤ヶ浦として港湾に用いられたという記録もあるが、建物は隣の松原地区にあったという。
桜川地区の堤防は全体が二段の堤防となっており、下の方にコンクリートで固められたものがまずある。ここには一般の人は普段入れない。増水した時にはここまで水が来ることもよくある。1969年には洪水で255戸が浸水したため、上の堤防はかなり高く作られており、上にある堤防は駒込川上流部を除き、ほぼ全てがアスファルトで舗装された道路になっている。そのうち、駒込川にあるものは自転車橋に至るまで自転車道路となっている。駒込川の自転車橋から荒川の下筒井橋に至るまでの道路も、自転車歩行者専用道路となっている。
地区の最北部付近である荒川と駒込川の合流位置である桜川八甲緑地の堤防付近には、青森高校、青森西高校、青森商業高校、青森中央高校のボート部が共同で利用している艇庫がある。正式名称は青森高校漕艇部艇庫であるが、現在では他の高校にもボート部が出来た上、青森高校の漕艇部もボート部に名称変更したため、この名称はふさわしくないのかも知れないが、現在も1977年の使用開始当初と同じ名称で用いられている。その艇庫のすぐ傍には川に降りるスロープがあり、そこから彼らは練習を開始する。彼らの練習範囲は筒井橋から2004年から工事中の甲田橋までであり、荒川や堤川の堤防を歩けば、彼らの練習風景を見ることが出来ることもある。
冬には川に青森県の県鳥である白鳥が飛来する。時と場所がよければ、容易に橋の上から白鳥の姿を眺めることも可能である。青森市中央部付近で白鳥を見ることができるのは堤川水系の河川のみであるため、一見する分には貴重な光景である。ただし、堤防が高く、餌を与えることが困難なうえ、夜になっても白鳥は鳴くため、付近住民に必ずしも親しまれているとは限らないようである。
地区南部には八甲田山雪中行軍で有名な陸軍歩兵第五連隊跡に、1946年6月より青森高校が建てられている。かつては青森高校の校庭の脇に菊の紋章のある建物があったらしいが、現在では取り壊されているためその広大な敷地以外にかつての面影を探すことは出来ない。現在の校門は陸軍歩兵第五連隊跡の入り口である。
地区南部にはいずれも陸軍歩兵第五連隊跡に建てられているためか、青森高校に隣接する形で筒井中学校がある。高校の校庭と中学校の裏庭(テニスコートがある)が低いブロック塀一枚で区分されている。筒井中学校の教室棟は青森高校に面したところにあるため、容易に青森高校で行われる体育の授業や運動会の様子を窺うことができる。昭和56年に水準点が設けられ、平成4年にはもう一箇所設けられた。
現在、桜川地区に小学校は存在しない。桜川一丁目の当該児童は堤小学校、それ以外の地区にいる児童は筒井小学校に行くのが基本である。このうち筒井小学校は、筒井地区にあるが青森高校に隣接して存在するため、小中高の三校が非常に隣接した形で建っていることになる。筒井小学校と青森高校の間には住宅があるため、筒井小学校からは筒井中学校ほど容易に青森高校の様子を窺うことは出来ないが、筒井小学校の三階の教室から辛うじて青森高校で行われているプール授業の様子を眺めることが出来る。1990年代前半までは一年生の教室の脇に遊具は大量にあったが、危険であるとして2000年代前半までに遊具は全て撤去され跡地は駐車場となった。
いずれも私立である。
1964年11月(当時は青森市大字筒井字桜川という地名であった)に青森県理科教育センター及び青森県教育研究所が青森高校隣に設置されて後、1970年4月に統合後も長らく青森県教育センターとしてその建物は青森高校の隣にあったが、1998年4月に青森県情報処理教育センターと統合され、新しく青森県総合学校教育センターが青森市大矢沢字野田に設置されている。現在建物は青森高校の生徒が部活動などで一部利用している。2011年に道路拡張工事に伴い解体工事が開始され、その後解体された。
下流から並べる。
夏は初めの頃やませが吹き、全体を通じても降水量も少ないという気候であるが、桜川団地は農家が少ないため、影響を受ける世帯は少ない。冬になると、原因不明であるが雪が桜川団地では青森市内の市街地の中でも特に降ることが多い。生活道路が狭いこともあって除雪には困難が付きまとうことが多いようである。
市内を流れる河川、桜川の西を流れる荒川と桜川の東を流れる駒込川の合流地点付近にあり、その二つの河川に挟まれる格好で位置している。そのため川の中の半島のような格好になっており、筒井地区以外の地区に直接行こうとすると必ず橋を通ることになる(雪が多いため融雪機能の付いた橋も多い)。全体が東北本線の北側にあり、南東部では東北本線の線路の土手が地区の境界になっている。南西部では県道40号が境界線になっている。
※なお、みちのく銀行桜川支店は桜川ではなく隣の奥野地区にある。合併で新設された青森銀行松原支店もすぐそばに作られた。
県営住宅にアスベストが使用されていたとして現在問題になっている。また、青森高校脇の道路3・4・3号蜆貝八重田線で融雪溝の整備が現在計画されている。この道路は筒井小学校の通学路である上、特に西北部にいる青森高校の生徒がよく利用しているため、道幅が狭いさくら館から次の交差点までの部分において、大型貨物自動車が通行禁止となっている。
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