柳原 (名古屋市)
名古屋市北区の地名 ウィキペディアから
柳原(やなぎはら)は、愛知県名古屋市北区にある地名。現行行政地名は柳原一丁目から柳原四丁目。住居表示実施済み[WEB 6]。
概要
町の中央部を南北に柳原通商店街が縦断し、毎年8月には商店街が主催する夏祭りが開催される。
地理
名古屋市北区南西部に位置する。東は清水、西は名城、南は清水・中区三の丸・東区三の丸、北は堀川に残る田幡町を挟み田幡・金城に接する。町の中央部を南北に柳原通商店街が縦断する。
歴史
町名の由来
往古、この土地は入り海であり、時代が下り中古には猿投山より流れる大河の川筋に当たっていたという。名古屋城御深井丸近辺はその大河が深くなっており、その両岸に柳が多く植わっていたことから、柳原と名づけられたという(金鱗九十九之塵)。[4]
沿革
- 1921年(大正10年)8月22日 - 西春日井郡杉村大字上名古屋の一部を名古屋市東区に編入し、東区柳原町となる[1][2][3]。
- 1934年(昭和9年)11月1日 - 東区柳原町字土居下・柳原・杉村町字柳原を東区柳原町1–4丁目とする[5]。
- 1945年(昭和19年)2月11日 - 北区成立に伴い、北区柳原町となる。
- 1980年(昭和55年) - 住居表示実施に伴い、北区柳原町・深田町・元柳原町・八坪町・金作町・田幡町・杉村町・名城町・城北新町の各一部により北区柳原が成立[2]。また、柳原町は北区柳原1–4丁目・清水1–5丁目に編入され消滅した[2]。
- 1982年(昭和57年) - 住居表示により柳原1–2丁目に、城北新町・名城町より各一部を編入[3]。
世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
2000年(平成12年) | 2,401人 | [WEB 7] | |
2005年(平成17年) | 2,425人 | [WEB 8] | |
2010年(平成22年) | 2,273人 | [WEB 9] | |
2015年(平成27年) | 2,288人 | [WEB 10] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。
丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|---|
柳原一丁目 | 全域 | 名古屋市立清水小学校 | 名古屋市立八王子中学校 | 尾張学区 |
柳原二丁目 | 全域 | |||
柳原三丁目 | 全域 | |||
柳原四丁目 | 全域 |
交通
バス
施設
- ユースクエア
- 丸栄百貨店柳原集配センター
- 田幡保育園
- 自治労連愛知県支部
- 中部電力城北変電所
- 名古屋柳原郵便局
- 聖成基督教団名古屋聖成キリスト教会
- 金光教田幡教会
- 土居下街園
- かつては東急鯱バス本社が所在したが、南区に移転し現存しない。
- 深島神社
史跡
- 名古屋城築城当時は沼地であったところを埋め立て、鶉口(非常口・裏口の意であるという)としていたという[3]。同心屋敷設置以降は御土居下と名を改めた[3]。この同心屋敷は存在が秘されたこの非常口の警備と有事の際には脱出した藩主の警備が任務とされていたという[3]。
- 御土居下の詩人とも称せられた人物の邸宅跡であるという[3]。
その他
日本郵便
脚注
参考文献
関連項目
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