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林 寛(はやし ひろし、1905年1月31日 - 1971年12月22日)は、日本の俳優である。本名稲垣 三郎(いながき さぶろう)[1]。音読みが同一の俳優林幹、極東映画の俳優、林寛(はやし かん)とは別人である[2]。
はやし ひろし 林 寛 | |
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本名 | 稲垣 三郎 いながき さぶろう |
生年月日 | 1905年1月31日 |
没年月日 | 1971年12月22日(66歳没) |
出生地 | 日本 京都府京都市 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画、演劇、テレビ |
活動期間 | 1920年代 - 1960年代 |
配偶者 | 稲垣モト (1940年 - 1965年 離婚) |
著名な家族 |
稲垣一彦 (長男) 稲垣敏彦 (次男) |
主な作品 | |
『明治天皇と日露大戦争』(1957年) 『天皇・皇后と日清戦争』(1958年) 『明治大帝と乃木将軍』(1959年) 『東海道四谷怪談』(1959年) 『「粘土のお面」より かあちゃん』(1961年) |
1905年(明治38年)1月31日、京都府京都市に「稲垣三郎」として生まれる[1]。
旧制・同志社中学校(現在の同志社高等学校)を中途退学し、東京に移る[1]。「東京オペラ座」、石井漠主宰の「石井漠一座」、松旭斎天華主宰の「松旭斎天華一座」等、舞台の実演畑を渡り歩く[1]。1926年(大正15年)ころに島幹雄が設立した「日本少女歌劇団」に参加し、地方巡業に関わる[1]。
1940年(昭和15年)、竹田モト(1915年 - 2006年)と結婚、その後2児をもうける。のちに1965年(昭和40年)、協議離婚が成立した。
第二次世界大戦後は、新東宝に入社し、倒産まで出演を続けた[1]。1959年の『明治大帝と乃木将軍』の乃木希典役は、クレジット上は準主役扱い(天皇夫妻の嵐寛寿郎、高倉みゆきが2名並びトップ、林は続いての4名並びの筆頭)だが、嵐が最小限の出番にしか付き合っていないこともあって事実上出ずっぱりの主役待遇であり、現在見ることのできる唯一の主演映画となっている。なお、前年の『天皇皇后と日清大戦争』、前々年の『明治天皇と日露大戦争』でも嵐ともども同じ役を演じている。新東宝倒産後は、おもに大映京都撮影所製作の作品に出演した。
日本映画データベースを参照した[3] [4]。
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