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松永 智充(まつなが ともみつ、1980年11月13日 - )は、日本のプロレスラー。茨城県古河市出身。SUPER CREW、フリーランスを経て、現在はDDT所属。城西国際大学卒業。
2006年3月4日、SUPER CREW新木場1stRING大会・対日下武人戦にてデビュー。
同年、SUPER CREWからフリーに転向。
この間にDDTにレギュラー参戦し、中澤マイケルとヌルヌル・ブラザーズを結成。
2007年、DDTに正式入団。
2008年、ヌルヌル・ブラザーズを解散。その後復活。
2009年、アイスリボンにニード手島(後にバーブ佐々木)と共にレフェリーとして参加。大阪などの地方大会では、ミスター雁之助に代わってリングアナウンサーとして帯同する。
2010年7月30日、茨城県での廃墟プロレスにて自身初となる路上マッチのレフェリングを行う。また、同年9月12日の山梨県でのキャンプ場プロレスでもサブレフェリーを担当。
9月8日、新木場大会、ユニット再編バトルロイヤルに参戦するも誰からも引き取られずに「嫌われ者同士」としてふたたび中澤マイケルと組む羽目に。再結成を喜ぶマイケルとは裏腹に嫌がる松永だったが後から現れた佐藤光留に「人気者でなければプロレスできないか!」と一喝され思い直すとともに意気投合、嫌われ者ユニット「シットハート♥ファウンデーション」を結成する。
2011年7月29日、リング内外で起こしてきた悪行が酷過ぎるとし、鶴見亜門GMから謹慎処分を言い渡され、選手活動を停止。但しアイスリボン等でのレフェリーは継続。
10月5日付で謹慎処分解除。以降はレフェリー活動は休止しており、選手に専念。翌年5月頃にレフェリー活動再開したが、学生プロレス時代の同志だった佐藤淳一のアイスリボン入社により撤退。
2013年10月19日、アイスリボンにレスラーとして初参戦。
2013年、柔道整復師国家資格を取得。ヌルヌル・ブラザーズも復活してプロレス活動を定期的に行う。
2014年よりヌルヌル・ブラザーズのタッグ3番勝負として第一戦で竹下幸之介&遠藤哲哉組と対戦し敗北。
第二戦は大阪でザ・ビッグガンズと対戦してあっさり敗北。
第三戦は後楽園ホールで飯伏幸太&ケニー・オメガ組とKO-Dタッグで対戦し敗北。
6月14日KING OF DDTでケニー・オメガから一回戦で勝利する大金星を見せるも二回戦で戦うKUDOに敗れ敗退する。
2016年4月より、2013年に取得した柔道整復師国家資格を生かし、旧事務所に開業予定のベストストレッチ新宿御苑店の併設の「新宿ぎょえん接骨院&新宿ぎょえん鍼灸治療院」の院長となる。2018年6月に閉院[1]。
2021年からはDDTの地方大会などでレフェリーを務める機会が増えている。
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