松永幸男

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

松永 幸男(まつなが ゆきお、1965年7月15日 - )は、熊本県葦北郡芦北町出身の元プロ野球選手投手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
松永 幸男
基本情報
国籍 日本
出身地 熊本県葦北郡芦北町
生年月日 (1965-07-15) 1965年7月15日(59歳)
身長
体重
183 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト3位
初出場 NPB / 1990年4月8日
CPBL / 1997年5月7日
最終出場 NPB / 1996年5月19日
CPBL / 1997年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

芦北高から九州東海大学(現・東海大学九州キャンパス)へ進学。在学中、4年連続で大学選手権に出場。同大学選手権では、1年時の1984年、第33回大会1回戦で準優勝した2年阿波野秀幸投手らの亜大に5-9で敗退。2年時の1985年、第34回大会準決勝で準優勝した森浩之捕手らの東洋大に0-1(延長10回)で惜敗したがベスト4進出に貢献した[1]。4年時の1987年、第36回大会1回戦では4年新井富夫投手や3年野村謙二郎らの駒澤大に2-9で敗退した。

1988年に大学卒業後、社会人野球三菱重工長崎に進む。1989年はチームとして8年ぶりとなる都市対抗野球に出場。1回戦のヨークベニマル戦で先発したが1-3で敗退した。

1989年のプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。

プロ1年目の1990年から一軍登板を果たし、3年目の1992年には主に中継ぎとして19試合に登板しプロ初勝利もあげた。

1997年4月のシーズン途中に中日を退団し、台湾中華職業棒球大聯盟統一ライオンズに移籍する。先発・中継ぎとして17試合に登板するが、同年シーズン限りで退団。その後、現役を引退した。

引退後は、中日ドラゴンズの球団職員となり、GM付広報、編成部長[2]、スカウト部長を歴任している[3]

人物

妻の実家は名古屋市のひつまぶしあつた蓬莱軒を経営[4]。長女は宝塚歌劇団101期生星組男役の草薙稀月[5]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...




















































W
H
I
P
1990 中日 91000000------8014.222116221110181811.052.59
1991 70000000------5010.21008001100554.221.69
1992 191000110--.50016536.13922120222117143.471.65
1993 10000000------72.011000100114.500.50
1994 40000000------154.020200410224.501.00
1995 173000121--.33318442.13762601241015153.191.49
1996 30000000------225.131400500223.381.31
1997 統一 172000321--.60018444.23923516014019173.431.25
NPB:7年 605000231--.400523115.1114117743785160574.451.66
CPBL:1年 172000321--.60018444.23923516014019173.431.25
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記録

背番号

  • 27 (1990年 - 1996年)
  • 56 (1997年 - 同年途中)
  • 17 (1997年途中 - 同年終了)

脚注

関連項目

外部リンク

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