松平 忠学(まつだいら たださと)は、江戸時代後期の大名。信濃国上田藩5代藩主。官位は従五位下・伊賀守、内蔵頭。伊賀守系藤井松平家7代。
生涯
天明8年(1788年)7月19日、上田藩主家分家で信濃更級郡5000石(塩崎知行所)の大身旗本である松平信濃守忠明の次男として誕生した。4代藩主・松平忠済の長男・忠英の早世から御家騒動が起こったため、宗家から忠済の養子として迎えられる。文化9年(1812年)5月6日、養父・忠済の隠居により家督を相続し、従五位下・伊賀守に叙位・任官する。
紅葉山火の番、桜田御門番などを歴任した。文化10年(1813年)に藩校・明倫堂を創設して文武を奨励している。
忠学は忠済の四男・忠和を養子としたが、忠和は夭逝する。このため文政13年(1830年)4月20日、代わって養子とした忠優(後の忠固)に家督を譲って隠居し、内蔵頭に遷任する。天保10年(1839年)10月に剃髪して松翁と号した。
系譜
父母
正室
- 光柏院 ー 松平忠済の娘
側室
- 林氏
- 佐田氏
養子、養女
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