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松平 忠功(まつだいら ただかつ)は、江戸時代中期の大名。伊勢国桑名藩4代藩主。官位は従四位下・下総守。奥平松平家6代。
紀州藩7代藩主・徳川宗将の七男として誕生。桑名藩3代藩主・松平忠啓の実子が早世していたため、天明3年(1783年)5月2日に婿養子として迎えられた。天明6年(1786年)12月10日に忠啓が死去したため、天明7年(1787年)1月21日に家督を継ぐ。
当時、江戸幕府では老中松平定信による寛政の改革が行われていたが、忠功もそれに倣い寛政3年(1791年)に「御定書」を制定して藩財政再建のために経費節減や生活の簡素化、上意下達の徹底などの藩政改革を行なった。しかし寛政5年(1793年)11月28日、病気を理由に家督を異母弟で養子の忠和に譲って隠居し、以後の藩政改革は忠和に受け継がれることとなる。
父母
正室
養子
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