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松平 定猷(まつだいら さだみち)は、江戸時代後期の大名。伊勢国桑名藩主。定綱系久松松平家12代。官位は従四位下・越中守、侍従。
先代藩主・松平定和の長男。天保13年(1842年)、父の死により幼少の身で家督を継いだ[1]。しかし藩主就任の年、桑名で大火と飢饉が発生する。その後も嘉永7年(1854年)には安政東海地震が起こるなど、その治世は天災のために多難を極め、財政は天災に対する救済費、対策費から幕府の手伝い普請などで火の車となった。また水害が起こるなどもしたが、一方では豊作で藩蔵が満杯になって大坂からの借財も5年間はしなくなるなど、恵まれてもいたようである[1]。
嘉永6年(1853年)、徳川家定が13代将軍になると、家定の「定」の字を避けて猷(みち)と名乗った[1]。安政6年(1859年)、京都警護を命じられたが、藩内における財政窮乏問題などからの心労で病に倒れ、8月21日または22日に26歳で江戸で急死した[1]。死後、長男の定教は幼少で妾腹でもあったため、嫡出の娘・初子に婿養子の定敬を迎えて家督を継がせた[2]。
父母
正室
側室
子女
養子
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