末広町 (名古屋市)
名古屋市中区の地名 ウィキペディアから
末広町(すえひろちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。1丁目から3丁目までがあった[1]。同区栄二丁目・栄三丁目・大須二丁目・大須三丁目の各一部に相当する[1]。
地理
東は住吉町3丁目・矢場町1丁目および2丁目、西は白川町3丁目・4丁目・5丁目、南は門前町1丁目、北は鉄砲町3丁目に接していた。
学区
人口
国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 446人[2] | |
1955年(昭和30年) | 528人[2] | |
1960年(昭和35年) | 631人[3] | |
1965年(昭和40年) | 545人[3] |
歴史
地名の由来
町幅が南へ行くほど広がることから名付けられたとする説と、扇が関なる関所が所在していたことによるとする説があるという[4]。
沿革
- 寛永7年 - 従来松原であった地を開発して町家としたことから、松原町と称した[1]。
- 宝永5年 - 時の将軍徳川綱吉の養女松姫の名を避けるため、末広町と改めた[1]。
- 明治4年(1872年) - 花屋町筋から門前町木戸間と花屋町の本町筋の東西を編入する[4]。
- 明治5年(1873年) - 従来の上之切・中之切・下之切を1丁目から3丁目までに改めた[4]。
- 1878年(明治11年)12月28日 - 名古屋区成立に伴い、同区末広町となる[5]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市末広町となる[5]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区末広町となる[1]。
- 1912年(明治45年)4月 - 富士生命保険株式会社が名古屋出張所を設置する[6]。
- 1912年(大正元年)11月15日 - 2丁目に株式会社太陽銀行が資本金2万円で成立[7]。
- 1912年(大正元年) - 3丁目に株式会社日本蓄音器商会が名古屋営業所を設置する[8]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区末広町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区末広町となる[1]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示の実施に伴い、1丁目・2丁目の全域と3丁目の一部が、中区栄二丁目・栄三丁目にそれぞれ編入される[1]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 住居表示の実施に伴い、残存していた3丁目の一部が、中区大須二丁目・大須三丁目に編入され、消滅[1]。
施設
脚注
参考文献
関連項目
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