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木原 慧登(きはら けいと、2005年5月11日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手。階級は73kg級。身長170cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は大内刈[1]。
獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
柔道 | ||
世界ジュニア | ||
金 | 2024 ドゥシャンベ | 73kg級 |
世界ジュニア団体戦 | ||
金 | 2023 オディべーラス | 73kg級 |
金 | 2024 ドゥシャンベ | 73kg級 |
世界カデ | ||
金 | 2022 サラエボ | 73kg級 |
柔道は5歳の時に有朋柔道塾で始めた[1]。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会の45kg超級で3位になった[1]。6年の時には全国小学生学年別柔道大会の50kg超級で優勝した[1]。東海大相模中学1年の時に近代柔道杯で1年先輩の服部辰成などともに活躍して2位になった[1]。2年の時に全国中学校柔道大会個人戦73kg級で優勝すると、団体戦でも2位になった[1]。マルちゃん杯では3位だった[1]。東海大相模高校へ進学すると、インターハイでは決勝で大牟田高校2年の竹市裕亮を破って、1年生ながら優勝を果たした[1][2]。全国高校選手権では決勝で佐賀商業高校2年の田中龍雅に背負投で敗れて2位、団体戦でも2位にとどまった[3]。2年の時にはインターハイの決勝で竹市を破って2連覇を成し遂げた[2][4]。世界カデでは決勝でジョージアの選手が河津掛を仕掛けてきたため、反則勝ちで優勝を飾った[5][6]。全日本ジュニアでも優勝した[7][8]。全国高校選手権の個人戦では優勝したが、団体戦では2位だった[9][10]。3年の時にはインターハイの団体戦では決勝の国士舘高校戦で敗れて2位だった。3連覇をかけて臨んだ個人戦では[11]、準決勝で習志野高校3年の高橋叶に小外掛で敗れて3位にとどまり[12]、男子選手のインターハイ史上初となる3連覇は叶わなかった[13][14]。全日本ジュニアでは準決勝で高橋を合技で破って雪辱を果たすと、決勝でも国士舘大学1年の竹市を崩袈裟固で破って2連覇を成し遂げた[15][16]。世界ジュニアでは準決勝でアメリカのジャック・ヨネヅカに合技で敗れると、3位決定戦でもタジキスタンのアブバクル・シェロフに技ありで敗れて5位にとどまった[17]。団体戦では準決勝のブラジル戦で敗れて決勝は控えに回ったが、チームは優勝した[18][19]。2024年には東海大学へ進学すると、全日本ジュニアでは決勝で竹市に技ありで敗れて2位だった[20][21]。続く世界ジュニアでは決勝で竹市と再戦すると、内股で一本勝ちして優勝した[22]。団体戦でも決勝のフランス戦で反則勝ちするなどしてチームの優勝に貢献した[23]。体重別団体では決勝の明治大学戦で2-2となった後の代表戦で勝利して、チームの優勝に貢献した[24][25]。
(出典[1]、JudoInside.com)
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