服部 桂吾(はっとり けいご、1971年6月2日[1] - )は、日本の俳優。神奈川県茅ケ崎市出身の俳優。血液型はO型。横浜市立横浜商業高等学校、青森大学社会学部社会学科卒業。劇団空間演技退団後はプロダクション・タンク所属。
概要 はっとり けいご 服部 桂吾, 本名 ...
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- 両親ともに画家。両親の離婚後は母一人子一人の母子家庭。とてもユニークな家系で祖父・牧野晴(ハレー)は横浜の貿易商、牧野家に生まれヴァイオリニスト奏者。明治初期英国マンチェスターから横浜に渡り、貿易に従事したジョセフ・ヒギンボサムと牧野ギンが結婚。生まれた次男の暎次郎(1872生まれ)が牧野晴(ハレー)の父である。なお暎次郎の弟である三男の牧野金三郎は1899年にハワイへ移住、「ハワイ報知」の創始者として日系人の平等権獲得のため尽力し生涯を捧げその功績は遂には米国首都にまで著名になった。日本でも2014年12月テレビ大阪ニッポン無名偉人伝5「ハワイの日系人のために闘った牧野金三郎」という特番で紹介されたが、偶然にもこの金三郎の役を服部桂吾が演じることになる。制作会社も全く知らないで似ているからとオファーしていた。牧野晴(ハレー)もまた晩年までヴァイオリンを通してスズキ・メソードの創始者である鈴木鎮一と共にスズキ・メソードの教育法を広く普及する。
- 学生時代はアパートの隣のお兄ちゃんが少年野球団に入り、遊び相手がいなくなってしまうと言う理由で小学校入学前から少年野球に入団、それ以降大学卒業まで野球に励み横浜市立横浜商業高等学校・青森大学在学中は硬式野球部に所属。高校在学中では同期の河原隆一(横浜商業高校-関東学院大-横浜ベイスターズ-現同球団スカウト)、2学年下に武藤孝司(横浜商業高校-創価大-大阪近鉄バファローズ-東北楽天ゴールデンイーグルススカウト-現サンディエゴ・パドレスの日本担当スカウト)がおり、高校大学を通じて補欠であったが高校在学中同校は1年の夏の選手権大会でベスト16、3年の春の選抜高校野球大会では準決勝大阪代表の元木大介・種田仁率いる上宮高校に破れベスト4と在学中二度の甲子園出場をしている。大学在学中では2学年下に福田信一(鳴門高校-青森大-福岡ダイエーホークス-現役引退)らがおり、4年の時には全日本大学野球選手権大会でベスト8まで進む。
- 大学卒業後の進路について生涯現役でいられる仕事は何かと何も決まらずにいたが、恩師である当時の青森大学野球部監督の石橋智監督(大曲高-法政大-秋田工監督-青森大学監督-久慈東高校監督-黒沢尻工業高校-盛岡誠桜高校監督)の薦めもありいったんは日本ロジテム株式会社に入社するが、偶然仲代達矢演じる「リチャード三世」を観劇。その帰り道即役者を志す事に決める。同社を退社後、東京都主催のイベント演劇フェスティバルでアントン・チェーホフ作「熊」にて主役として初舞台を踏み、それがきっかけとなり劇作家の岡部耕大に抜擢され同氏の岡部企画プロデュース「がんばろう」紀伊國屋ホールでは主演の元宝塚歌劇団・旺なつきの息子役に抜擢。岡部企画プロデュースを中心に数多くの舞台に出演。
- 2005年劇団を退団。今までない幅広いジャンルの作品に取り組みこの年は8本の舞台に出演。2006年にはウィリアム・シェイクスピア作「ハムレット」でタイトルロールのハムレットを演じ、また、不定期に公演をおこなう演劇企画ユニットとして戦後の多くの日本人に夢と希望を与えた初代南極船宗谷の名にちなみ宗谷ROCKETS!!を立ち上げ、2007年には服部桂吾の恩師でもある俳優座の伊東達広が声の出演、ワハハ本舗・椿鮒子が客演に加わり「喀血!!銀玉高校応援団」を上演。第2回公演としては異例の東京での1ヶ月公演、名古屋・大阪公演を敢行する。
- 2008年主人公の生き方が心に響いたからとして受けた本人としては初のテレビ作品となる天理教山名大教会120周年記念作品〜初代会長 諸井國三郎〜「ぢば一条・広め一条の道」が主演としてスカイパーフェクTV!にて放送されDVDとなり、天理教内で遠く台湾から全国各地にひろまるが、本人は画面で見た自分の演技に不満。これでは駄目だと本格的に映像分野に進出するきっかけとなり、10年目を期にプロダクションタンクに所属。
- 2009年10月プロダクションタンク所属後、「相棒 Eleven」で青木卓役をはじめ、CMではレクサス・トヨタ自動車の海外向けCMで初のメインキャラクターに起用されるなど映像分野中心となる。
- また乃木坂46の7作目のシングル「バレッタ」やタッキー&翼第二弾シングル「抱夏-ダキナツ-」などミュージックビデオにも出演している。