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服部 安司(はっとり やすし[1]、1915年〈大正4年〉7月21日[2] - 2011年〈平成23年〉3月9日[3][4])は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)・参議院議員(2期)。位階は従三位。
服部 安司 はっとり やすし | |
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生年月日 | 1915年7月21日 |
出生地 | 奈良県 |
没年月日 | 2011年3月9日(95歳没) |
死没地 | 奈良県北葛城郡上牧町 |
出身校 | 中央商科短期大学商学科卒業 |
前職 |
衆議院議員 参議院議員 |
所属政党 | 自由民主党(宮澤派) |
称号 |
勲一等瑞宝章 従三位 |
子女 | 息子・服部三男雄(元参議院議員) |
第38代 郵政大臣 | |
内閣 | 福田赳夫改造内閣 |
在任期間 | 1977年11月28日 - 1978年12月7日 |
内閣官房副長官(政務担当) | |
内閣 | 第2次池田第1次改造内閣 |
在任期間 | 1961年7月25日 - 1962年7月 |
選挙区 | 奈良県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1985年2月4日 - 1992年7月7日 |
選挙区 | 旧奈良全県区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1958年5月23日 - 1966年12月27日 1969年12月28日 - 1980年5月19日 |
奈良県出身。中央商科短期大学商学科卒業[2]。1945年に上牧村長、1947年に奈良県議会議員に当選[1]。1953年に奈良県議会議長に就任[1]。
1958年の衆議院議員総選挙に旧奈良全県区から自民党公認で出馬し初当選[3]、以後衆議院当選7回を数えた(当選同期に竹下登・安倍晋太郎・金丸信・斎藤邦吉・倉成正など)。党内では宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属し、第2次池田内閣第1次改造内閣の内閣官房副長官などを歴任後、1977年、福田改造内閣の郵政大臣として初入閣。
しかし、1979年に発覚したKDD事件に絡み、郵政大臣在任当時の収賄疑惑が浮上し、1980年に行われた総選挙に出馬を断念せざるを得ない状況に追い込まれた。次の1983年の総選挙には出馬したが事件の影響が祟ったのか落選。政治生命も終わりかと思われていたが、1985年の参議院議員補欠選挙に出馬し当選。翌年の参院選も再選を果たし、1992年に引退するまで2期7年務めた。1985年、勲一等瑞宝章受章。
2011年3月9日、老衰のため奈良県北葛城郡上牧町の病院で死去[3]。95歳没[3][4]。逝去日に遡って従三位が没後追贈された[5]。
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