普天郡(ポチョンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国両江道に属する郡。
地理
鴨緑江の支流である佳林川の流域に位置する郡で、鴨緑江が南から西南へと向きを変える位置にある。
行政区画
1邑・2労働者区・17里を管轄する。
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歴史
植民地期は咸鏡南道甲山郡(そこから分離した恵山郡)の一部であった。普天郡は1952年に恵山郡から分割された行政区画である。
現在、普天邑と呼ばれる中心地区は旧名を普天堡(ポチョンボ、ふてんほ)と言い、金日成が行ったという普天堡の戦い(1937年)で知られている。
年表
この節の出典[1]
- 1896年 - 咸鏡南道甲山郡に属する。
- 1937年6月 - 普天堡の戦い。
- 1942年4月 - 恵山郡の新設に伴い恵山郡に属する。
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡南道恵山郡普天面・大鎮面および雲興面の一部地域をもって、普天郡を設置。普天郡に以下の邑・里が成立。(1邑25里)
- 普天邑・青林里・胞胎里・雲南里・興成里・内曲里・儀化里・樺田里・中興里・新興里・独山里・通南里・緑水里・佳山里・宝泰里・大新里・大坪里・大興里・保興里・上龍里・龍徳里・宋峯里・栢子里・虎山里・門岩里・大鎮坪里
- 1953年 - 独山里が独山労働者区に昇格。(1邑1労働者区24里)
- 1954年10月 - 行政区画の見直しにより、両江道普天郡となる。(1邑1労働者区24里)
- 1958年 (1邑2労働者区23里)
- 大坪里が大坪労働者区に昇格。
- 宝泰里が宝西里に改称。
- 独山労働者区が鯉明水労働者区に改称。
- 1961年3月 (1邑1労働者区22里)
- 大鎮坪里の一部が大坪労働者区に編入。
- 鯉明水労働者区・胞胎里が新設の三池淵郡に編入。
- 1979年2月 (1邑1労働者区18里)
- 緑水里・宝西里および中興里・通南里の各一部が三池淵郡に編入。
- 中興里の残部・通南里の残部が普天邑に編入。
- 1981年 - 大鎮坪里が大鎮坪労働者区に昇格。(1邑2労働者区17里)
交通
脚注
関連項目
外部リンク
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