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日本語において、文語を用いて書かれた文章の形式 ウィキペディアから
第二次世界大戦前までは特に公文書などで標準的に使われていた。現代の日本語における文語は、明治時代からの言文一致運動と、第二次世界大戦後の国語改革の影響により、話し言葉に比較的に近いものになっている。現在の日本語で一般的な文体は(書き言葉であっても)口語体とよばれる[注 1]。
文語体は平安時代の京の貴族階級の口語(中古日本語)をもとに、以後の言葉の影響も受けながら形成され、口語体とは異なる語彙や文法を持つ[注 2]。
明治期の言文一致運動により、漢文体、和文体、和漢混清体、漢文訓読体、雅俗折衷体、欧文直訳体、和漢洋調和体、普通文など、さまざまな文体が使われ、美文調や高雅体といった新たな文語体が現れた[1]。
明治末、文部省が口語体を主とするよう指導を行う。山本夏彦によると、「大正9年(1920年)に三省堂の中学国語教科書がすべて現代文になり、これをきっかけに文語は急速に姿を消していった」という[2]。小学校の国定教科書『国史』は昭和2年(1927年)まで全文文語であったが、昭和10年(1935年)には全文口語に変更された。
昭和20年(1945年)まで陸海軍では文語と候文が残っていたほか、芸術分野では美文調などによって継承された。佐藤剛は永六輔らが口語文で作詞を始めたことを日本の土着文化の復興とする一方[3]、山本夏彦は、口語体により暗唱しにくくなったことで、詩の人気も凋落したと指摘している。
原則として歴史的仮名遣によって表記され、口語とは異なる独特の趣きをもつことから、今日でも俳句や短歌にしばしば使われる。
口語と異なるため初学者にとって難しいが、逆にその相違が自然に書き手を注意深くさせるのを文語の長所ととらえる見方もある(異化)。そのため、例えば井上靖『蒼き狼[注 3]』などのように、文学作品などのタイトルに使われることも多い。散文を文語体で書くことは稀となったが、文語調の言い回しを混用した口語文は、今日でもしばしば見受けられる。
日本語の広い意味での文語体には以下のような文体がある。
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