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『日本の面影』(にほんのおもかげ)は1984年3月3日から1984年3月24日までNHK総合テレビで放送されたテレビドラマ。脚本は山田太一。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公に、主に明治時代の日本を舞台としている。
山田はハーンの生涯をドラマ化することを以前から考えていたが、関心を示す制作者はなかなか現れなかった[2]。NHKから「石炭と石油、原子力発電と3代でエネルギーに関わった家庭を題材にして、日本の近代化を描くドラマ」の企画を依頼された際に、その趣旨に同意できずにハーンのドラマ企画を提案したところ、実現の運びとなった[3]。ハーン役を誰にするかについて、山田がダスティン・ホフマンの名をあげると「ギャラだけで制作費が飛ぶ」と却下された[3]。アメリカでのオーディションとなり、これを知ったジョージ・チャキリスが自らもハーンと同じギリシャ系であると名乗り出た[3]。チャキリスは日本語を全く解さなかったが、出演前に日本語トレーナーから訓練を受けて撮影に臨んだという[4]。
シナリオでは多くの日本人の登場人物が全編にわたって出身地の方言で会話している(これは実際のドラマでもほぼそのまま演じられている)。ハーンの台詞は、日本語で話す部分は(仮名の部分が)カタカナ、英語で話す部分はその意味に相当する通常の日本語で記される。
また、ハーンの著作『怪談』『骨董』の中から「むじな」「幽霊滝の伝説」「雪女」「耳なし芳一」の4つの作品が劇中劇として登場する(「むじな」は人形劇、他の3つは実写)。「むじな」以外の3作品は小泉セツが語るのを聞きながらハーンが思い浮かべているという設定が取られており、「雪女」ではセツの語る設定にハーンが異を唱えて変更されるのに合わせて映像も変わったり[5]、西田千太郎の訃報を受けた直後の「耳なし芳一」では芳一がハーンの想像で西田の姿になっている[6][7]といった演出が取り入れられている。
シナリオ・クレジットにおいて主人公の名前はすべて「(ラフカディオ・)ハーン」で統一されているため、以下の記述もそれに従う。
1884年、万国博覧会(正式には万国工業兼綿百年期博覧会)が開催されている、アメリカのニューオーリンズ。地元の新聞「タイムズ・デモクラット」記者のラフカディオ・ハーンは、幽霊や迷信などに関心を持って記事に取り上げていたが、主筆には理解されない。同僚の女性記者エリザベス・ビスランドにハーンは思うところがあり、ビスランドもそれに気づいていたものの、隻眼へのコンプレックスゆえに打ち明けることはなかった。酒場で酔いつぶれたハーンを、博覧会に日本政府から派遣された服部一三と部下の西村重成が介抱し、彼らは知り合う。服部と西村が日本人だと知ったハーンは関心を抱き、彼らから博覧会場の日本の展示を見せてもらったり、日本の幽霊や神話について教えを請うたりする。ハーンはそれらにより日本への興味を高めていった。新聞に迷信のある国と書かれることを不安に思っていた服部たちは、ハーンがそれを否定して好意的な日本の紹介を新聞に書いたことで信頼し、親しい関係となる。
それから6年後、ハーンは雑誌社の派遣で日本にやってくる。しかし、まもなく雑誌社との契約を破棄し、文部省の普通学務局長となっていた服部に相談して、島根県立松江中学校の英語教師の職を得ることとなった。『古事記』に関心を示していたハーンは、その舞台の一つである島根県に行くことを喜ぶ。迎える側の松江の旅館では西洋人をどのように扱えばよいのか不安だったが、万事日本のやり方が気に入っていると聞かされる。中学校に赴任したハーンは、英語を解する教頭の西田千太郎と親交を結ぶ。
旅館で生活しながら中学校で教職に就くハーン。休みに出雲大社に昇殿参拝するなど日本の事物への好奇と賞賛は続いていた。横浜から通訳兼世話係として同行した青年・真鍋はその態度と自分の関心へのギャップから松江を去ってしまう。これがきっかけで旅館暮らしに疲れたハーンは、借家に一人住まいすることになった。まかないとして当初旅館の女中が派遣されたが、感情の行き違いから彼女は来なくなってしまう。西田の自宅に縫い物仕事で出入りしていた没落士族の娘・小泉セツがハーンの給仕を引き受ける。親族の懸念を説き伏せ「妾となる覚悟」をもって「毎月20円もらえる仕事」で一族を養うことにしたのだ。ハーンの世話をすることになったセツは、その求めに応じて怪談話を語って聞かせ、ハーンもそれを心待ちにするようになっていた。
セツと親密になっていくハーン。しかし、セツの養祖父・稲垣万右衛門が「異人に身を売った金で生き永らえている」と切腹しかかる騒ぎを起こし、地元の新聞には「ハーンが愛人と暮らしている」という記事が出る。記事を知ったハーンは憤り、なぜ抗議しないのかとセツに問う。妾になるのも覚悟の上というセツに、ハーンは結婚すると口にした。一度は断るセツだったが、セツを愛している、白人や欧米よりも欧米以外の国やその国の人々に惹かれるというハーンの言葉に、結婚を決意する。二人は穏やかな新婚生活を送るが、松江の冬の寒さに耐えかねたハーンは、より高い俸給を得る目的もあって1891年に熊本の第五高等中学校に転職し、養っている小泉家・稲垣家の一族とともに転居した。第五高等中学の同僚・佐久間信恭の毒舌や、松江との気風の違いから当初ハーンは熊本に失望する。しかし隣家に押し入った強盗がその家の女性と交わした人間らしいやりとりのエピソードを聞いたりすることで、熊本のよさを見直すのだった。
熊本でセツに最初の子ども(一雄)が生まれる。養祖父の万右衛門も曾孫の誕生を喜び、セツは幸せを実感する。しかしその直後、ハーンから自分と一雄とともにアメリカに行かないかという相談を受ける。ハーンは近代化が進む日本に幻滅を感じていた。1894年、ハーンは五高を辞して神戸の英字新聞で記者となる。居留地の外国人社会で、やはり自分は西洋人ではないかという思いに駆られるハーン。一方、セツの養父・稲垣金十郎からは一雄のためにセツと戸籍を入れ、日本に帰化してほしいという要望を受けていた。ハーンは今の自分が西洋に惹かれている悩みを松江中学の西田に綴る。肺病を持つ西田に代わって妻がハーンを訪れた。ハーンはそれを喜ぶとともに、自分は西洋の傲慢さに気付いた、家族のいる日本で日本人になると述べる。1896年、ハーンは日本に帰化し「小泉八雲」を名乗ることとなった。ハーンは帝国大学文科大学から講師として招聘され、一家は東京へと移り住む。その後まもなく西田が亡くなったという知らせが届き、ハーンは深く悲しんだ。教職の傍ら、ハーンは日本についての著作をいくつも発表する。だが、1903年、突然大学はハーンを解雇する。学生たちの留任運動が起こり、大学側も一転して慰留を申し出るが、ハーンは「もう日本は自分のような人間を必要としていない」とそれを拒絶する。翌年、ハーンは世を去った。その少し前のある夜、ハーンがセツに「もうすぐ自分は死ぬ。死んでも泣いてはいけない。安価な壺に自分の遺骨を入れて、田舎の寂しい寺院に埋めなさい。決して悲しまず、子どもとカルタ遊びをして過ごし、人に聞かれたら『あれは先頃亡くなりました』と答えればよい」[9]と話す場面でドラマは幕を閉じる。
(以下、劇中劇キャスト)
過去、3度にわたってドラマ版のシナリオが書籍として刊行されている。
全2幕。舞台劇という事情から場面はすべてハーンの居宅に設定されており、テレビドラマ版の第1回および第2回の前半(ハーンが借家に転居するまで)に相当する箇所は存在せず、アメリカの人物や服部一三、西村重成、真鍋晃、小泉藤三郎らは登場しない(その代わり、テレビドラマ版では具体的に描かれないハーン幼少期の両親が、成人後のハーンの見る夢という設定で冒頭に登場する[12])。テレビドラマ版の第2回後半から第4回までを再構成し、1幕目が松江、2幕目が熊本と東京を舞台とするが、ストーリーや設定に以下の違いがある。
地人会解散後の2012年7月、女優の紺野美沙子が主宰する「朗読座」により、上演(演出:鵜山仁)[20]。また、2014年、地人会新社との共催の形での再演となった[20]。
戯曲は雑誌『すばる』1993年5月号に掲載されたのち、同年7月に(他の山田の戯曲作品2本と合わせて)『日本の面影 舞台戯曲』として集英社より刊行された。
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