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元秋田県議会議員、秋田県南秋田郡井川町元町長 ウィキペディアから
齋藤 正寧(さいとう まさやす、1942年(昭和17年)3月21日 - 2015年(平成27年)1月5日)は、日本の政治家、新聞記者。元秋田魁新報社社員、元秋田県議会議員、元秋田県井川町町長。
旧上井河村(現在の井川町東部)赤沢の出身。1964年(昭和39年)早稲田大学第一政経学部卒業後に秋田魁新報社に入社する(1970年12月まで在籍)。そして旧上井河村長だった父の齋藤正作県議の逝去に伴う後継として、1971年(昭和46年)秋田県議会議員選挙に立候補し、初当選を果たした[1]。
秋田県議会議員を2期務めた後、20年に渡り井川村長、井川町長を務めた鷲谷嘉兵衛の引退に伴う1979年(昭和54年)の井川町の町長選に立候補、初当選を果たす[1][2]。以来、井川町の町長を9期36年務めた。これは、市町村長として当時全国最多である[3][注釈 1]。
井川町長在任中の2000年(平成12年)4月28日から秋田県国民健康保険団体連合会理事長、2005年(平成17年)6月10日から秋田県町村会会長に就任した。
また、2011年7月から2年間は全国町村会副会長を務めていた[1][3]。
9期目であった2014年(平成26年)12月には当初、10選出馬を表明していたが、その直後にがん療養を理由に出馬辞退を表明[1]し、任期満了日を待たずに、年が明けて2015年(平成27年)1月5日に肺がんのため秋田市の病院で死去した[2]。72歳没。叙正五位、旭日中綬章追贈[4]。
死去後、すでに任期満了に伴う選挙日程は決まっていたが、公職選挙法で死亡を町選管に伝達した日から50日以内の日程内に当初決定した投票日が収まることを理由に、町長死去に伴う選挙日程は当初の予定通り、任期満了の選挙日程と同一日程での実施となった。
2015年(平成27年)2月15日投開票の町長選挙の結果、齋藤正寧の長男で、元団体職員の齋藤多聞が初当選し、同年2月15日に就任した。齋藤多聞は、曽祖父・祖父が旧上井河村村長、父が前町長と、直系4代で町村長を務めた家系の出身となる[3][注釈 2]。
町長就任より井川町内の土地改良整備を重点に、町民の生活利便性向上を目的とした政策を積極的に行った[1]。
主な政策として
また、重点政策以外に
父は元秋田県議会議員で旧上井河村の村長であった齋藤正作、祖父も旧上井河村の村長である[3]。
国や秋田県に「物を言える町長」として、歯に衣着せぬ物言いで地方の実情や課題を訴えてきた。その反面、町内においてはまちづくり懇談会を実施し、精力的に町民と交流を深め、町民の意見や要望を町の政策へと反映させる等、井川町の発展に尽力した[1]。
小泉政権が推し進めていた平成の大合併実現に五城目町、八郎潟町と共に合併に向けて組織された「湖東三町合併協議会」に参加していた。しかし、行政(小泉政権)側の都合によって市町村合併が推し進められた状況を考慮し、2004年(平成16年)12月、町職員に向けて
「行財政の効率化のみを目的とした市町村合併ならば不要。重要なのは本町を含めこの地域が将来にわたり発展し続けていくための展望を住民と行政とが共に描けるのかということ。その議論が足りなかった」
と発言、湖東三町合併協議会からの離脱を表明した[1]。
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