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支城(しじょう)とは、本城を守るように配置された補助的役割を持つ出城・砦・陣屋などのことを指す。枝城(えだじろ)などとも呼ばれた。戦国時代には、本城・支城間に支城網(しじょうもう)と呼ばれる多彩な連絡網が形成されるようになった。
漢語的に「本城(ほんじょう)」という言葉を使う場合はそれに対して「支城(しじょう)」と言い、大和言葉的に「根城(ねじろ)」という言葉を使う場合はそれに対して「枝城(えだじろ)」と言う。「枝城」の「枝」(えだ)という文字はきへんの右側に「支」と書く文字であり、「枝」と「支」は、ほぼ同じ意味の言葉。また、「本城」の「本」という字も、「木」という象形文字の幹を表す部分の下方に横線を描くことでその部位を指し示しており、つまり「本」という字は もともと「木の根元」や木の中心的部分(幹の部位、枝ではない部位)を表しているので、もともとはほぼ同義の字・言葉である。つまるところ「支城」「枝城」どちらの言葉を使うにせよ、城と城の関係を身近な木・樹木の構造に喩えて表現しているわけである。
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支城には役割によって様々な種類があり、規模も大小様々である。
支城網(しじょうもう)とは日本の主に戦国時代に発達した、各地域の拠点や本拠となる本城と、それを守るように周囲に補助的役割の支城・枝城・端城などと呼ばれる城・砦・陣屋群を張り巡らせた防衛及び統治ネットワークを指す。
本城を守備し支える拠点である支城は、同時に反抗勢力の攻撃拠点となるリスクも抱えていた。そのため、敵の反攻を防ぐ目的で破城されることもあった。
中央集権体制による天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉は、支配下に置いた地域の支城を破却して整理しており、最終的に江戸幕府が出した一国一城令(1615年)により、支城は全て廃城となった[2]。
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