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長崎県長崎市にある長崎電気軌道の路面電車停留場 ウィキペディアから
思案橋停留場(しあんばしていりゅうじょう、思案橋電停)は、長崎県長崎市油屋町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場。駅番号は34。1号系統、4号系統が停車する[1][2]。
思案橋停留場は1921年(大正10年)、西浜町 - 思案橋間の第3期線開通と同時に開業した[3][4]。当時の終点であり、停留場には2階に食堂を備えたモダンな建物が建っていた[5]。
1945年(昭和20年)8月9日には原爆投下により長崎電軌の路線は全線不通となる[6]。復旧に際しては長崎駅前 - 西浜町 - 蛍茶屋間の再開を急いだため西浜町から当停留場までの区間は後回しになり、放置されていた間に軌道上に闇市が立ってしまったため、再開は1953年(昭和28年)まで遅れることとなった[5][7]。再開に合わせて停留場は移設されている[8]。その後1968年(昭和43年)には当停留場から先に路線が延伸、正覚寺下(現・崇福寺)までの区間が開通した[9][10]。
思案橋停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが設けられる[14][15]。戦前は隣の観光通停留場から当停留場まで専用軌道だったが、戦後の営業再開時に併用軌道化された[5]。ホームは2面あり、2本の線路を挟んで向かい合わせに配置されている(相対式ホーム)[14][15]。観光通寄りから見て右側にあるのが赤迫・蛍茶屋方面行きのホーム、左側にあるのが崇福寺方面行きのホーム[15]。ホームへは観光通寄りにある横断歩道を介して出入りする。2000年には上屋がテント式から景観に配慮したシェルター式に改められた[16]。
戦前、当停留場が終点だったころは2面のホームが端でつながりコの字形となっていて、停留場入口から見て右側のホームを蛍茶屋方面行き、左側のホームを浦上(大橋)方面行きに使用していた[5]。ホームの長さはいずれも車両2両分[5]。蛍茶屋方面ホームの先には操車室があり、分岐器の操作を行っていた[5]。操車室は戦後歩道上に設けられ、のちに操車塔も完成したが[5]、1968年の路線延伸に合わせて廃止[9]。代わって正覚寺下に操車室が新設されている[9]。
長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。
長崎市有数の繁華街であり[5]、長崎市内最大の飲食街である銅座も近い[17]。思案橋はかつて当地にあった遊廓(丸山遊廓)へ架かる橋の名で、橋の上で行くか戻るか思案することからこの名前となった[17]。橋が架かっていた川は暗渠となり、橋も復元された欄干の一部が残るのみである[19]。
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