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建築物の建造に用いる材料 ウィキペディアから
建築材料(けんちくざいりょう、英: building material)とは、建築物を建てるために使用されるあらゆる材料のことである[1]。短縮形で「建材」(けんざい)とも。
建築材料とは、建築物を建てるために用いられるさまざまな材料の総称である。
どの範囲を「建築材料」と呼ぶかについては若干のゆらぎがある。
通常は「建築材料」という語は、「建築施工の場に提供される材料」を指している(たとえばセメント、砂利、ガラス、煉瓦などである)[2]。
(「建築施工の場に提供される材料」という文は「建築施工の場に提供される」という部分と、「材料」という部分に分けられるわけだが) たとえば建築施工の場(=「建築現場」)に「煉瓦」が「提供」され(=運び込まれ)使われる場合は煉瓦を「建築材料」呼び、建築現場ではその煉瓦の原料である粘土については(煉瓦は煉瓦工場では粘土などを原料(材料)として製造されており、煉瓦工場内においては粘土は立派に「材料」であるのだが)「建築材料」とは呼ばない[2]。(なお誤解を避けるために言っておくと、これはけっして「粘土は(常に)建築材料ではない」などという意味ではなくて、粘土も建築材料と呼ばれる場合があり、たとえば建築現場で壁に「左官しごと」をほどこす段階で、建築現場にまさに粘土が粘土そのままの形状で運び込まれ左官がそれを使う場合は、その粘土は「建築材料」と呼ばれるのである。)
(次に定義に含まれる「材料」という言葉に着目すると)上記の建築材料を組み合わせたり加工したもの、例えばサンドイッチパネル、プレキャストコンクリート板、プレハブ部材(≒プレハブ部品)など、つまり現場で実際に建築物を組み立てるという立場に立った場合には どちらかと言えば「材料」ではなく「部材」、それどころか「部品」(parts パーツ)と呼んだほうがよいようなものも、広義には「建材」と呼ばれている[2]。 水道管、ガス管、空調ダクトの類は、「建築材料」に含めることもあれば、含めない場合もあり、ゆらぎがある。 遮光設備、防音設備、あるいは免振設備といった設備も、建築材料に含めない場合もあれば、(建築物に最初から組み込まれ建築物と一体化するので)広義の「建築材料」に含めることもあり、ゆらぎがある。だが、さすがにエアコン(クーラー)のようなものは「建築材料」に含まれないことが一般的である。
いくつか分類法があり、たとえば機能による分類法、部位による分類法、素材の種類による分類法などがある。→#分類
人類の歴史をたどれば、もともとは自然界に素朴に存在しているもの、自然の中で暮らしている状態で自分たちの身近にあるものをそのまま材料として建築物をつくるようになっていったわけであり、たとえば足元にある土、泥、石などや、森にふんだんにある植物性のもの(木の枝、樹皮、木の葉などや、草(草本)類の茎 等々、また石器を使いこなすようになり樹木を切ることができるようになってからは、その幹(木の幹)も使えるようになったであろう)を用いて次第に建築物を作るようになっていったわけである。(現代でも、アフリカなどでは、泥(しばしば草を混ぜたもの)を手で積んではしばらく乾かしそれを繰り返すことで壁を作り、壁に橋をかけるように木の枝や丸太を組み木の葉で屋根をふき、一軒の家とする、ということが行われている地域がある。建築材料として泥、木の枝(や丸太)、木の葉などだけを用いて家を作るということが、太古から現代まで行われているわけである。)
また石を(とくに加工もせず)積み上げて、泥や(足元にある素材を混ぜ合わせてつくる)モルタル(セメント)で固めて壁を作る、ということも行われるようになった。古代には、やがて、泥を木枠に入れて抜くことで形を一定にし陽光にあてて乾かしブロック状にした「日干しレンガ」を作っておいて、それを積み上げて建築物を作る、ということも行われるようになった。古代メソポタミアのジッグラトでは基本の日干しの泥のブロックに加えて、建築物表面には粘土を火で焼いたブロック(焼成レンガ)も用いられた。古代エジプトでは石材を加工して壮麗な神殿を建造し、加工した石だけを積み上げてピラミッドも建造した。また世界各地で石材を加工する技術が向上すると、(石の形をあらかじめととのえて、現代人が「石垣」と呼ぶような状態の壁も作れるようになり)それを建築物の壁として建築物を構成してゆくことも可能になった。古代ギリシアでは、たとえばパルテノン神殿では、大理石を精巧に加工して建築材料として、白く輝く壮麗な柱を組み上げ、その上に材木を組んで屋根構造を作り、その屋根組の上には陶製の瓦をふくということも行われるようになった。西ヨーロッパでは加工した石材を主たる建築材料とし、石材で組み上げた壁を建築物の主たる構造体とする方法が一般的になっていった。[注 1][注 2]
アジアでは古代には地面を若干掘って床材とし、丸太を建築材料として用いて掘った場所に素朴に組んで建築構造(屋根構造)とし(屋根そのものが、ほぼ建築物全体でもあり)、その上に屋根材として萱などをふくということが行われた。アジアでは材木を主たる建築材料にして、やがて材木に精巧な穴などをあけたり削ったりして相互に組んで建築物を作るということが一般的になっていった。[注 3]
→#歴史
いくつかの分類法があり、機能(用途)による分類、部位による分類、素材の種類による分類などがある。
単一の建築材料が必ずしも明確に構造材、仕上げ材(外装材、内装材)のいずれかに分類できるのではなく、複数の部位に使用されるものが多い[注 4]。
建築物のどの部位に使われるか、という観点で分類する方法もある。
(建築に限らないで材料・素材全般に関して言えば、「earth (土、地面、地球表面の物質)」系、植物系、金属系、合成樹脂系...など、その出どころにより大まかに分類する方法は根底にあり、建築材料についてもそうした分類概念は一応 背後に存在してはいるが)建築材料に関しては、素材にもとづく場合は、例えば以下のように分類されている。
古代メソポタミアの時代から、乾燥した地帯では、さかんに mud brick 泥ブロック(あるいはsun-dried brick ひぼししたブロック、「日干しレンガ」)が用いられている。たとえばジッグラトも基本は日干しレンガでできており、表面だけ焼成レンガを用いている。日干しレンガは(日本人が「煉瓦」という表記を見て想像するようなものとは大いに異なり[注 7])日干しレンガは、泥を四角い木枠に入れて、直後に抜き、そのまま地面に並べた状態で、数日ほど太陽の光に当てて乾かしただけのものである。まったく窯で焼いていないのである。日干しレンガはあらかじめ木枠だけ持っていれば、建物を造ろうとする場所の付近で泥が多い場所や水をまくだけで泥になる場所を見つけて(しばしばそれは、建築地に隣接する空き地である)、屋外で、ある程度の広さの地面を確保し、泥を木枠に入れては、抜き、そのまま地面に放置して乾かすことをひたすら繰り返すだけで、簡単に大量に製造でき、しかも建築中の建物の隣の空き地でも製造できるので、重いものを輸送するという大きな手間も省ける。日干しレンガは、現代でも、中近東、アフリカ各地、南米のペルー 等々、世界各地の乾燥地帯で現在も広く用いられているのである。
古代ギリシアでは、石材、木材、陶製の材料などが用いられた。民家は茅葺きの屋根と瓦ぶきの屋根が存在していた。パルテノン神殿の場合、主たる構造材の柱はペンテリコ(Mount Pentelicus)産の大理石が用いられ、屋根の部分の構造材は材木で、その上を瓦で覆っていた。
古代ローマ帝国は建築・建設の分野では突出した技術を持っていた。石材、木材、セメント、モルタル、等々等々 多種多様な材料を用いた。古代ローマの建築技術者は、セメントやモルタルの技術も卓越しており、さまざまな配合のセメントやモルタルを、用途に応じて使い分けて駆使していた。水中硬化性のセメントまでも開発し、使いこなしていた。古代ローマで用いられた 優れたセメント(コンクリート)は、現代の研究者らによって「roman concrete ローマンコンクリート」と呼ばれている。古代ローマは水道や水道橋の技術にも優れており、水道に水を流したまま、補修したり、増築することができたのはそのおかげである。今もフォロロマーノなどに古代ローマの歴史的建造物が多数残っており、それらの建材を確認することができる。古代ローマ時代にすでに窓にガラスが用いられ始めていた、という記録がある。
en:Ancient_Roman_architecture#Materials(古代ローマの建築 - 材料)も参照。
中世ヨーロッパでは、石造りの建物を造ってきた歴史があり、壁が構造体となって建物の基本構造を構成する建築法が歴史的には主流で、壁や柱にさまざまな石材が用いられ(つまり構造材は石材であり)、また床などにも大理石などの石材がさかんに用いられてきた歴史がある。石材をさかんに加工する必要があったので石工という職業が発達し、その職業組合(ギルド)も発達した。また木造建築も造られてきた歴史もあり、木材(材木)も建材として使用されてきた歴史がある。木造建築の場合は、構造材も内装材も木材となっていることは多い。教会堂の窓はステンドグラスが用いられた。これは金属枠をはんだ付けしたものと色ガラスから成っている。
中国では、木材・竹材などの植物起源材料のほか、石材なども多く使用されていた。また漆喰なども使用されている。屋根は素焼きの瓦が用いられた。中国大陸では夏の時代の歴史資料に瓦が製造されていたとの記録が残っている。(日本と同じく)内装材に紙を用いる例もある。
日本列島では、縄文時代の住居はほとんどが竪穴建物であり、植物性の自然素材が多用された。地面をいくらか掘り下げており、地面が床材ではあるが、構造材として丸太を用い、土や葦などで屋根を葺いた。竪穴建物は、縄文時代以降、平安時代後半(12世紀ころ)までかなり広く用いられていたことが、考古学的調査で明らかになっている。飛鳥時代では、中国大陸の影響が大きくなり、建材として石材と木材、萱など植物性の材料を用いた。
その後の日本では、内装材として、木材だけでなく、唐紙・障子など、紙を多用する独特の文化が形成された。これは基本的にヨーロッパには見られない文化・傾向である。
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