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日本のバスケットボール選手、指導者 (1974-) ウィキペディアから
庄司和広(しょうじ かずひろ、1974年〈昭和49年〉4月26日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。現役時代のポジションはスモールフォワード。元バスケットボール男子日本代表。引退後はB.LEAGUEの新潟、愛媛でヘッドコーチを務めている。
富山グラウジーズ AC | |
---|---|
ポジション | SF |
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
日本語 | 庄司 和広 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1974年4月26日(50歳) |
出身地 | 埼玉県北葛飾郡杉戸町 |
身長(現役時) | 191cm (6 ft 3 in) |
体重(現役時) | 92kg (203 lb) |
経歴 | |
選手時代: | |
1997-1998 | 住友金属スパークス |
1998-1999 | トヨタ自動車ペイサーズ |
1999-2000 | 大和証券ホットブリザーズ |
2000-2005 | 新潟アルビレックス |
2005-2006 | 福岡レッドファルコンズ |
2006-2009 | 埼玉ブロンコス |
2009-2010 | 高松ファイブアローズ |
2010-2013 | 秋田ノーザンハピネッツ |
コーチ時代: | |
2016 | 高松ファイブアローズ(AC) |
2016-2020 | 新潟アルビレックスBB |
2020-2021 | 愛媛オレンジバイキングス |
2021-2022 | 愛媛オレンジバイキングス(AC) |
2022-2023 | 愛媛オレンジバイキングス |
代表歴 | |
キャップ |
1996年 第3回ヤングメンアジア選手権 2001年 第3回東アジア競技大会 2001年 第21回男子アジア選手権 |
中学1年生の時、バスケットボールを始める。その後、北陸高校から拓殖大学に進学。在学中の1996年にはヤングメンアジア選手権に出場する全日本のメンバーとなる。
卒業後の1997年には住友金属工業に入社したが、バスケットボール部が廃部になったため、翌1998年トヨタ自動車に移籍。
1999年、大和証券に移籍。新潟アルビレックスでもプレーを続け、日本リーグMVPとベスト5を2年連続受賞、2001-02シーズンはスティール及びフリースロー成功率のタイトルも獲得。スーパーリーグ昇格後も2003-04シーズンにはオールスターでもMVPを獲得。全日本にも選ばれ続ける。さいたまスーパーアリーナの杮落しとなったスーパードリームゲーム2000にも出場。
2005年、新潟のJBL脱退によりスーパーリーグでのプレーを求め、新規参入した福岡レッドファルコンズに移籍。主将を務めた。
しかし、福岡は2005-06シーズン終了を待たずチームが消滅したため、2006年2月にbjリーグのアーリーチャレンジ制度を利用し地元の埼玉ブロンコスに移籍[1]。シーズン終了後、埼玉と再契約。2006-07シーズン、3ポイントシュート成功率44.4%(67/151)を記録し、3ポイント王を受賞。bjリーグの2008-2009シーズンのオールスターゲームにも出場した。
2009年オフにFA権を行使して高松ファイブアローズへ移籍[2]。主将に就任し、開幕時に日本人ロスターしか居なかったチーム(bjリーグ史上初)を支えた[3]。長身外国人が足りないチーム事情のため、センターなど不慣れなポジションも務めた。
2010年オフ、bjリーグに新規参入する秋田ノーザンハピネッツに移籍する[4][5]。2011-12シーズン、10月29・30日開催の仙台戦では、2試合で3Pシュートを13本中9本の高確率で決めて週間MVPを初受賞[6]。2012年1月、ブースター投票により選出され、オールスターゲームに出場。bjリーグ移籍後初めて、レギュラーシーズン全52試合でスターターとして出場。2012-13シーズン終了後に現役を引退。
2度のチーム廃部(住友金属、大和証券)と、1度のチーム消滅(福岡レッドファルコンズ)を味わった選手である。計8チームを渡り歩いた。
2013-14シーズンから2シーズン、平岡富士貴ヘッドコーチ体制の新潟アルビレックスBBでアシスタントコーチを務めた[7]。
新潟退団後は、一度バスケ以外の仕事をしておきたいと思い一般企業に就職していたが[8]、2016年1月に北陸高校時代の監督である津田洋道がヘッドコーチを務める高松ファイブアローズのアシスタントコーチに就任し[9]、2015-16シーズン終了まで務めた。
2016年6月、新潟アルビレックスBB(2016-17シーズンよりB.LEAGUE所属)のヘッドコーチに就任した[10]。就任1シーズン目の成績はBリーグ中地区4位、2シーズン目は中地区3位と順位をあげた。3シーズン目の2018-19シーズンはシーズン45勝をあげ、チーム初の中地区優勝を果たした。中地区4位に終わった2019-20シーズンをもって退任した。
2020年6月、愛媛オレンジバイキングスのヘッドコーチに就任。2021年3月、選手へのパワハラ行為が発覚し、3ヶ月の職務停止処分を受けた。2021-22シーズンは間橋健生ヘッドコーチの下で愛媛のアシスタントコーチを務めた。2022-23シーズンはヘッドコーチに復帰してプレイオフ進出争いをしたが、西地区4位となりプレイオフ進出はならず、シーズン終了後に退任した[11]。
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
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bjリーグ 2005-06 | 埼玉 | 17 | 14 | 27.9 | .327 | .319 | .814 | 3.9 | 1.6 | 1.0 | 0.0 | 1.9 | 9.6 |
bjリーグ 2006-07 | 埼玉 | 35 | 33 | 27.1 | .415 | .444 | .709 | 1.8 | 1.9 | 0.7 | 0.1 | 1.3 | 9.9 |
bjリーグ 2007-08 | 埼玉 | 44 | 38 | 25.5 | .377 | .379 | .816 | 2.1 | 2.1 | 0.3 | 0.1 | 0.9 | 7.8 |
bjリーグ 2008-09 | 埼玉 | 52 | 28 | 18.9 | .428 | .408 | .747 | 1.5 | 1.2 | 0.3 | 0.1 | 0.6 | 5.9 |
bjリーグ 2009-10 | 高松 | 50 | 20 | 17.7 | .324 | .277 | .806 | 1.7 | 0.4 | 0.4 | 0.1 | 0.6 | 4.0 |
bjリーグ 2010-11 | 秋田 | 48 | 37 | 23.0 | .339 | .339 | .732 | 2.4 | 1.6 | 0.5 | 0.1 | 0.9 | 6.0 |
bjリーグ 2011-12 | 秋田 | 52 | 52 | 31.3 | .413 | .383 | .730 | 3.1 | 1.3 | 1.1 | 0.1 | 0.7 | 7.5 |
bjリーグ 2012-13 | 秋田 | 48 | 22.0 | .417 | .433 | .872 | 2.0 | 1.0 | 0.6 | 0.1 | 0.2 | 4.8 |
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