Loading AI tools
ウィキペディアから
旧制広島市立工業専門学校(きゅうせいひろしましりつこうぎょうせんもんがっこう)は、1945年(昭和20年)1月、広島市により設立された旧制専門学校。略称は「広島市工専」(あるいは「官立広島工専」(官工専)と区別して単に「市工専」とも)。
広島市立工業専門学校 (広島市工専) | |
---|---|
創立 | 1945年 |
所在地 | 広島県広島市 |
初代校長 | 勝盛豊一 |
廃止 | 1951年 |
後身校 | 広島大学 |
同窓会 | 広島工業会 |
市工専は広島市東雲町653番地(住所変更により現在は南区東本浦町)の広島市立第一工業学校(現在の広島県立広島工業高等学校の前身校の一つ)[1]内に併設され、廃校までこの校地が維持された。跡地にはその後1954年(昭和29年)に県立広島商業高校の校地が移転してきたが、1960年(昭和35年)に同校が広島市江波町(えばまち)(現在の広島市中区舟入南6丁目)の校地へ復帰したのち、1964年(昭和39年)に市立広島工業高校[2]が移転、現在に至っている。
1945年8月6日の原爆投下にさいし、爆心地から約3.1㎞離れていた市工専は木造校舎が中破するなどの被害を出したが、全般的に施設の損害は軽微であった。また当日は東雲町の校舎で授業が行われていたため生徒・教職員の犠牲者も僅少であると推定されるが、1945年中の被爆死者数は生徒・教職員とも不明である[3]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.