常照寺 (京都市)
京都市北区にある寺院 ウィキペディアから
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常照寺(じょうしょうじ)は、京都市北区にある日蓮宗の寺院。山号は寂光山。本尊は三宝尊。旧本山は身延山久遠寺。親師法縁。桜や紅葉の名所として有名である。
江戸時代の芸術家である本阿弥光悦は、慶長年間(1596年 - 1615年)の初年には現在の光悦寺の地に別宅を構えていたが、元和元年(1615年)に徳川家康により付近一帯の土地を与えられた。『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な地であったという。
翌、元和2年(1616年)に光悦とその養子・光瑳により「法華の鎮所」がこの地に建立された。これが当寺の起源である[1]。
元和5年(1619年)になり本格的にこの地に移り住んだ光悦は、一族や様々な工芸の職人とその家族ら100人以上を集住させて一大芸術村、いわゆる光悦村を作り上げた。また自らの屋敷の近くに法華題目堂を建立している。その法華題目堂は光悦の死後に光悦寺となっている。
寛永4年(1627年)に光瑳の招きによって日蓮宗の中興の祖日乾が「法華の鎮所」に入ると、日乾はこれを正式に寺院として整備して寂光山常照寺と名付け、学寮である檀林(鷹峰檀林)を開いた。後の最盛期には大小30余りの堂宇が建ち並び、学僧200余人が学んでいたと記録が残る。その頃には常照講寺とも呼ばれるようになっていた。
寛永5年(1628年)には日乾に帰依していた遊女の2代目吉野太夫により、山門(吉野門)が寄進されている。また、当寺には2代目吉野太夫の墓もあることから、当寺は2代目吉野太夫ゆかりの寺院となっている。
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