布勢耳麻呂
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布勢 耳麻呂(ふせ の みみまろ)は、飛鳥時代の貴族。姓は臣のち朝臣。阿倍鳥の子とする系図がある[1]。官位は従四位下・左京大夫。
経歴
天智天皇7年(668年)調物を献上するために新羅より渡来した東厳のもとに遣わされ、新羅王に対する調物を運搬するための船一艘をことづけた[2]。
大宝元年(701年)の大宝令における位階制の制定を通じて正五位上に叙せられ、翌大宝2年(702年)摂津大夫に任ぜられる。その後、臣姓から朝臣姓に改姓する一方で、従四位下に昇進し、元明朝の和銅元年(708年)左京大夫に補せられている。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
参考文献
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