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日本のタレント、女優 ウィキペディアから
ビーバー(1948年2月5日[注釈 1][1] - )は、日本のタレント、女優。
東京都台東区出身[1]。実家は酒屋[1]。1970年当時の公称サイズは身長162cm、B83cm、W57cm、H82cm[3]。3人兄妹の末っ子で、兄2人がいる[1]。その風貌からハーフと見られがちなこともあったが、両親とも日本人であるため、彼女も純日本人である[1]。
子供の頃から日本舞踊を習う[1]。台東区立忍岡中学校に在学していた[4]中学生時代は陸上競技[5]、バレーボールをやっており、バレーボール部ではキャプテンだった[1]。中学生時代は「男っぽいくせに女っぽい」という評判があったという[5]。高校は二階堂高等学校(現・日本女子体育大学附属二階堂高等学校)に進学し、高校時代の部活はバスケットボール部[5]。
1965年公開の映画『赤ひげ』の加山雄三の相手役を捜すために本作の製作サイドから日本全国の高校に候補者の推薦が依頼され、二階堂高校からも十数人が推薦されてこの中にビーバーも入っていた。そして全国約16,000人の候補者の中からビーバーがその相手役に選ばれたが、背が高いという理由から最終的にその相手役(まさえ役)は内藤洋子に変更された[1]。
高校卒業後はホテルオークラに就職するが、同ホテルの結婚式場で撮影した、ビーバーが入っていた写真が日本全国の写真コンクールで2位に選ばれたことがきっかけでビーバーの元にモデルの仕事依頼が殺到[1]し、これが元で同ホテルの宣伝部の人に勧められたこともあって[6]、ホテルオークラは約1年半務めた後に退職、そこからの転職先も3か月後に辞めてモデル界に入ることとなった[1]。
そのモデルとして活動していた頃に、ニッポン放送『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のパーソナリティ『パンチガール』のオーディションに臨み、高橋基子、シリア・ポールと共に合格して、同番組はこの3人を初代パーソナリティとしてスタート。この3人で「モコ・ビーバー・オリーブ」として活動し、レコードデビューも果たした。このオーディションに立ち会っていた亀渕昭信の話によると、モコ(高橋)とオリーブ(シリア)はすぐに決まったそうだが3人目の選定に難航し、何回もオーディションを重ねていく中である日、ファッションショーに出たその帰りだというドレス姿のビーバーがオーディション会場に入って来て、その時ちょうど一杯呑んだような機嫌で、そこでの第一声が「あたし酔っ払っちゃったのよ」だったということで、面白い女の子だなと思って合格させたという[5]。亀渕は、この当時のビーバーについて「酒は強い」と証言しており[5]、また「気分次第で角瓶一本は軽い」とも紹介されたことがある[3]。なお『ビーバー』とは、本人曰く中学生時代からのあだ名をそのまま芸名にしたものである[7]。
その後ソロでもレコードをリリースしたことがある。ラジオパーソナリティの他、女優として映画、テレビドラマに出演、バラエティ番組でも司会などでレギュラー出演を務めていた。「口の早さが売り物」と紹介されたことがある[7]。
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