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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
静岡県清水市の出身で、藤田俊哉とは小学生時代からのチームメイト[3]。清水商業高校では1学年上に三浦文丈、同期に藤田、1学年下に名波浩、山田隆裕らがいる[2]。2年時の1988年には静岡県選抜に選出され国体少年男子で優勝[4]。冬の高校選手権では優勝し優秀選手に選出、日本高校選抜の海外遠征メンバーにも選ばれた[4]。3年時には高校総体、全日本ユースの二冠を達成したが[4]、高校選手権は静岡県予選準決勝で相馬直樹を擁する清水東高校にPK戦の末に敗れた[5]。
高校卒業後の1990年に日本サッカーリーグ1部のヤマハ発動機サッカー部に加入。2年目の1991-92シーズンに出場機会を得ると、1991年9月15日に行われたJSL1部第1節の全日空戦でデビュー[6]。11月17日に行われた第9節の日立製作所戦で初得点を決めるなど、リーグ戦13試合に出場し1得点を記録した[6]。
日本プロサッカーリーグ昇格を果たし、ジュビロ磐田と改称した後もチームに在籍したが、股関節の怪我により1年8か月の間、戦列を離れる結果となった[3]。復帰後の1995年6月24日に行われたサントリーシリーズ第19節のベルマーレ平塚戦でリーグ戦初出場を果たし[7]、同年にリーグ戦2試合に出場した[1]。
1996年にジャパンフットボールリーグの本田技研に移籍し、1997年まで在籍した[8][9]。
その他の公式戦
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