岐阜市立常磐小学校
岐阜県岐阜市にある小学校 ウィキペディアから
岐阜市立常磐小学校(ぎふしりつ ときわしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市の北部に位置する学校である。
岐阜市立常盤小学校 | |
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金華山から望む全景(2019年1月) | |
北緯35度27分38.7秒 東経136度45分50秒 | |
過去の名称 |
常磐尋常小学校 常磐国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜市 |
設立年月日 | 1872年5月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B121220100183 |
所在地 | 〒502-0803 |
岐阜県岐阜市上土居838番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
- 1872年(明治5年)5月 -
- 1874年(明治7年) - 効名義校が打越村本郷字北山に校舎を新築し移転。同時に効名小学校に改称する。
- 1880年(明治13年) - 効名小学校は打越小学校に、松茂学校は土居小学校に改称する。
- 1890年(明治23年)8月 - 下土居村が土居小学校から離脱。新設の正木外二か村組合立正木尋常小学校に移る。
- 1891年(明治24年) -
- 4月 - 土居小学校と打越小学校の統合が決まる。
- 10月28日 - 濃尾地震で両校とも校舎が倒壊。この影響により休校になり、統合も延期となる。
- 1892年(明治25年)
- 2月 - 瑞昌寺で授業を再開。
- 10月 - 打越村池の下199に新校舎が完成。打越小学校と土居小学校を統合し、打越尋常小学校となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 打越村、城田寺村、上土居村、椿洞村が合併し、常磐村が発足。同時に常磐尋常小学校に改称する。
- 1902年(明治35年)
- 9月16日 - 常磐尋常高等小学校に改称する。
- 12月 - 校舎を新築する。
- 1911年(明治44年)4月15日 - 校舎を新築する。
- 1914年(大正3年)4月6日 - 農業補習学校を併設する。
- 1926年(大正15年)5月20日 - 青年訓練所を併設する。
- 1929年(昭和4年)5月 - 校舎を新築する。
- 1935年(昭和10年)7月1日 - 農業青年学校を併設する。
- 1940年(昭和15年)7月1日 - 常磐村が岐阜市に編入される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 常磐国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 岐阜市立常磐小学校に改称する。
- 1951年(昭和26年)12月11日 - 校舎移転計画により、校舎を解体する。1・2年は岐阜市常磐支所、3・5年は瑞昌寺、4年は打越公会堂、6年は常国寺[注釈 2]で分散授業となる。
- 1952年(昭和27年)4月7日 - 現在地に校舎が完成。分散授業を廃止。
- 1969年(昭和44年)2月 - 新校舎(鉄筋コンクリート造3階建)が完成。
- 1971年(昭和46年)7月 - 特別教室が完成。
- 1975年(昭和50年) - 児童数増加により、プレハブ校舎を設置。
- 1976年(昭和51年)9月9日~15日 - 集中豪雨(9.12水害)により校舎が床上1.2mまで浸水し休校。復旧に半年以上かかる。
- 1977年(昭和52年)3月 - 校舎を増築。プレハブ校舎を撤去。
- 1980年(昭和55年)5月 - 体育館が完成。
- 1982年(昭和57年)3月 - 南舎が完成。
- 1983年(昭和58年)3月 - 北舎が完成。
通学区域
進学先中学校
交通アクセス
- 城田寺団地線「上土居」バス停より徒歩約3分
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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