山浅龍之介

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山浅龍之介

山浅 龍之介(やまあさ りゅうのすけ、2004年4月21日 - )は、秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身[2]プロ野球選手捕手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。

概要 中日ドラゴンズ #57, 基本情報 ...
山浅 龍之介
中日ドラゴンズ #57
Thumb
2023年8月9日 横浜スタジアム
基本情報
国籍 日本
出身地 秋田県本荘市(現:由利本荘市
生年月日 (2004-04-21) 2004年4月21日(20歳)
身長
体重
175 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 2022年 ドラフト4位
初出場 2023年5月10日
年俸 610万円(2025年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

要約
視点

プロ入り前

由利本荘市立小友小学校2年時に「小友ジグザグ野球スポーツ少年団」で軟式野球を始めたことがきっかけで、将来のプロ(NPB)入りを志していた。

「小友ジグザグ」はかつて「学童野球の東北大会における常連」と呼ばれるほどの強豪チームであったが、由利本荘市の界隈で少子化が進んでいる影響で、山浅が入団した時点では6年生が対象の大会に3年生を出さざるを得ないほどにまで団員が減っていた。山浅の同期生がチームに1人しかいなかったこともあって、本人は3年時から、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)秋田市内で運営している「楽天イーグルスアカデミー ベースボールスクール」の秋田校にも通学。両親の勧めで通学を始めた[3]が、6年時には、「東北楽天ジュニアチーム」の選抜メンバーとしてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場した[2][4]

中学校への進学に際しては、「全国の(野球の)レベルを知りながら(選手としての)実力を付けなければプロになれないので、どうせなら東北地方でもレベルの高いチームに入りたい」との想いから、楽天野球団傘下の「東北楽天リトルシニア」でプレーを続けることを熱望していた。両親も「東北楽天リトルシニア」への参加を勧めていたが、チームの練習拠点が実家から自動車でも片道で3時間の移動を要する宮城県仙台市に所在することから、実際には実父(自営業者)を除く家族(本人と実母と実妹)が仙台市の近隣地域(富谷市内)に転居することで対応[3][5]。転居後は、富谷市立東向陽台中学校に通いながら、「東北楽天リトルシニア」で元プロ野球選手(ゴールデンイーグルスOBの専属コーチ)から指導を受けていた[3]

中学校からの卒業後に福島県聖光学院高等学校へ進学したが、本人曰く「東北楽天リトルシニアで捕手としてのプレーを基本から教わっていたおかげで、(在学中は)守備面での技術指導を一切受けなかった」という[3]。1年秋の福島県大会からベンチ入りを果たすと、2年時(2021年)の春に正捕手として第94回選抜高等学校野球大会に出場。3年時(2022年)には、チームを第104回全国高等学校野球選手権大会での準決勝進出と、第77回国民体育大会野球競技での準優勝に導いた[2]

2022年10月20日に開催されたNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから4巡目で指名され、11月9日に契約金3500万円、年俸600万円(金額は推定)という条件[6]で、「東北楽天リトルシニア」の出身者から初めてのプロ野球選手になった[3]。背番号は57[7]

中日時代

2023年には、高卒入団の新人捕手ながら、春季キャンプの一軍メンバーに抜擢された[8]。チームの高卒新人野手から高橋周平2012年入団の内野手)以来11年ぶりの抜擢[9]で、オープン戦の途中まで一軍に帯同していた。レギュラーシーズンの開幕こそ二軍で迎えた[10]ものの、5月10日の対広島東洋カープ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で、8回表の守備から一軍公式戦にデビュー。高卒新人捕手による一軍公式戦への出場は球団史上3人目で、チームメイトでもある石橋康太2019年に果たして以来であった[11]。実際には5試合に出場したものの、初安打を放つまでには至らず、5月27日に出場選手登録を抹消[12]。その一方で、抹消後の7月18日に富山アルペンスタジアムで開催されたフレッシュオールスターゲームには、ブライト健太(チームからウエスタン・リーグの選抜チームに入っていた外野手)の故障による出場辞退を受けて急遽マスクを被っている[13][14]

2024年は、一軍では3試合に守備で出場したのみで、二軍でも打率.167(72打数12安打)と低迷するなど苦しいシーズンとなった[15]。11月9日に現状維持の推定年俸610万円で契約を更改した[15]。11月18日、練習中にフェンスに激突して負傷し、名古屋市内の病院で検査を受けたところ「脾臓損傷」と診断されたが、同日中にカテーテル手術を受け、12月2日に退院した[16]

選手としての特徴・人物

手動での計測ながら、二塁への送球で最速1.8秒を記録したほどの強肩が持ち味[6]

趣味は読書で、高校時代の成績はオール5[17]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
2023 中日 7221000000000000000.000.000.000.000
2024 3000000000000000000----------------
通算:2年 10221000000000000000.000.000.000.000
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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...


捕手






















2023 中日 481001.0000110.000
2024 350001.0000000----
通算 7131001.0000110.000
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  • 2024年度シーズン終了時[注 1]

記録

初記録

背番号

  • 57(2023年[7] - )

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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